2014年08月18日

思い出

「マスターの夏の思い出って何ですか?」とバイトの女の子、ファッション雑誌のページをめくりながら。
「怖い思い出と、恥ずかしい思い出と、悔しい思い出があるよ。どれが聞きたい?」とマスター、新聞に目を落としながら。
お盆明けの昼下がり、喫茶店の店内には人気がなく、スピーカーからはゆったりしたボサノバが流れている。
「相変わらずネタが多いですね」と女の子。「全部聞いてみたいですけど」
マスター、新聞から顔を上げて、女の子の方を見る。そして、煙草を取り出し、火を点けてくわえる。
「まず怖い話は、学生の頃に夏休みに自転車でフラッと旅をしたんだけど。そのときに泊まった宿で、夜中に隣の部屋から女の人が話す声がしてきて。独り言のようなんだけどヘンな様子でね。まぁ、世の中にはいろいろな人がいるからと、大して気にもせずに寝たんだけど、次の朝の食事のときに、宿の人に『隣にもお客さんが居たんですね』って聞いたら、『いません』って怪訝そうな顔で言われてね。夢でも見たのかなって思ったんだけど−−。しばらくしたら、新聞にそこの記事が載ってて、『屋根裏から女性の白骨死体見つかる』って内容で。どういう経緯か分からないけど、あれはその声だったのかって」
「その死体は何だったんですかね?」女の子、眉を顰めた表情で。
「詳しくは分からないけど、中古物件で買った家を宿にしてたみたいで、その前の所有者を調べてるとか、そんなのが載ってたな。まぁ、結局は謎だけど」
マスター、煙草をプカプカやって。
「で、恥ずかしい話は、中学のときに、テレビでノーパン健康法って云うのを見て、夏に実践してみたんだよ。そしたら朝になったらパンツを履いていてね。寝惚けて履いたのかなって思ってたんだけど、朝ご飯のときに『あんな寝方してたら、お腹冷えるよ』って、母親に」
女の子の鼻から息が漏れる。「それは確かに恥ずかしいですね」
「生きてるといろいろあるよ」マスター、短くなった煙草を灰皿に押し潰して、新たな一本を取り出す。そして、指の先でくるくる回す。
「で、悔しい思い出って云うのが、店を始めたくらいのときに、お客さんで国際線のスチュワーデスがいたんだけど、その人に海に誘われてね。『友だちも誘って、一泊二日で』って。だけど夏の海って暑いし、人が多いでしょ? それで思わず断ってしまったんだよ。今思うと、あれは我が人生における唯一にして最大のイベントだったんだなと。全てを放り捨ててでも行くべきだったんだと毎年後悔するんだよ」
マスター、くるくる回していた煙草に火を点け、大きく吸い込む。
「何と云うか、残念な人生ですね。ある意味でマスターの人生を象徴しているような」
「あれが別荘とか、湖だったら喜んで行ったんだけど。海って云うのがね」
「たぶん、そう云う、どこか高飛車なところが人生に停滞感を生み出しているんじゃないですか」女の子、苦笑いとともに呆れたような息を漏らす。
マスター、煙をこぼすように吐きながら頷く。「亜沙美さんは、夏の思い出は?」
「何年か前なんですけど。すごい暑い日にスーパーに行ったら、アイスのセールをやってて。思わず、レディボーデンの大きなヤツを三つも買ってしまったんですよ。で、下宿で涼みながら食べてたら、気になる男の子から『今夜の花火大会観に行かない?』って連絡がきて。喜んで行ったんですよ、気合いを入れてメイクして、浴衣来て。もしかしたら今夜結ばれるかもって期待してたんですけど、途中からモーレツな腹痛に襲われて。脂汗を流しながらトイレへ駆け込むと云う醜態を−−。結局、何も楽しめず、ましてアバンチュールもなく−−。帰りに薬局で正露丸を買ってもらうと云う−−」
「何とも、オソマツな−−」
微妙な空気の中、二人それぞれに時計を見る。針は午後二時を指そうとしている。
「生きているといろいろあるね」と云うマスターの声に、女の子「そうですね」と頷き、店内に時計の鐘が二つ鳴り響く。窓の外では蝉の啼く声が大きくなり−−。


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2014年05月07日

因果

世界で起こる出来事とは、遍く、因果に拠るもの、なのだろうか。
先日のことである。年配のご夫人から奇妙な話を聞かされた。
散歩のつもりでぶらぶらと歩いているうちに、ついつい遠くまで来てしまい、休憩でもと思って入った喫茶店でのことである。
私は年季の入ったカウンターの席に腰を下ろしたのだが、店内にはほとんど客は居らず、カウンターに古希を迎えたくらいのご夫人と、そして、猫がいるだけだった。
コーヒーを注文すると私は猫に手を伸ばし、その喉や頭、背中などを撫でた。
猫はグルグルと喉を鳴らし、腹を見せるようにして甘えてくる。
腹は大きく、乳房が張っている。子どもが−−そう思った。
と、「その猫、お腹に子どもがいるんですよ」とコーヒーをドリップするマスターが声を掛けてきた。
「もうそろそろだと思うのですが−−。四五匹くらいいるんじゃないかと−−」
マスターは、フィルターの上に視線を注ぎながら話す。
私は猫の大きな腹を擦りながら、「そうですねぇ。それくらいは産みますかねぇ」と答えたが、当の本人(猫であるから『人』ではないのだが)は他人事のようにグルグルと喉を鳴らすばかりであった。
「里親を捜していますが、一匹どうですか」マスターは視線をこちらへ移し、民芸調のカップにたっぷりと入れてコーヒーを寄越した。
その間、カウンター席に座る女性は私が猫を撫でている様を眺めながら、コーヒーを飲んでいたのだが、不意に「因果、と云うものを意識したことがあるでしょうか」と問い掛けてきた。
唐突なそれに、私は「はぁあ」と間の抜けたような返事をしたのだが、そのご夫人は
「まぁ、何てことのない話なのですが、ふと、そんなことを思いまして」と気の弱そうな声で話し出した。
「私には素行の悪い息子が居りまして−−。昔から、何かと難儀な存在であったのですが。例えば、桜の頃に、庭の桜が花びらを散らして、お隣から苦情があれば、まぁ、掃き掃除をすれば済むようなものなのですが、桜の枝を残酷なほどに切ってしまい−−。
ネズミが家に出るようになると、ネズミを捕まえては、火で炙ったり、水に漬けて殺したりして−−殺すことを愉しむように、残虐な行為をしておりました。
納屋に野良猫が子どもを産んだときも、仔猫の首を折って、川へ投げ棄て−−、野良犬が敷地に入ろうものなら、弓矢で射抜くような、非道な者でした。
しかし、そんな息子にも娘がおり、そのような残酷な行為ができる人間とは思えぬ程、大層な可愛がりぶりでした。
当然私どもも可愛がっておったのですが−−先日、その孫が不審な死を迎えたのです。
遊びに行った先で行方不明になり、三日後、裏山で遺体として発見されたのです。死因は、頸椎の骨折に拠るものだったそうですが−−
小さな身体のあちこちに、様々な獣に噛まれ、噛み千切られたような痕がありました。
一緒に遊んでいた子どもたちは、『突然いなくなった』と云っていましたが、私には、その子の親の、息子の所業がそのような死を招いたように思われて−−」
私はカップに口をつけながら、どのような相づちを打つこともできず、漫然とその老婆を見ていた。
「猫や犬と云えど、生き物−−私たち人間と変わらない存在なのです。しかし、そうしたものへの驕りを持てば、逆に我々も天からの裁きを受けるのだと−−」
彼女はそう言って、小さくため息を吐いた。
マスターは煙草に火を点けると、淀んだ空気を追い払うように、大きく煙を吐いた。
猫は、またしても他人事のような顔をしながら、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
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2014年03月24日

燻製

煙草を吸いながら窓の外を眺めているマスター、「雪だね」と呟くように。
雑誌に目を落としていたバイトの女の子が顔を上げて窓の外を見る。
「一昨日はとても暖かかったのに、急ですね」
「まぁ、三寒四温の季節だからね」とマスター、煙草の煙を輪っかのように吐出して、視線を女の子の方へと移す。
女の子が少し恥ずかしそうに雑誌の記事をマスターの視線から隠そうとする。
「何かイヤラシイものでも読んでたの?」マスター、薄笑いを浮かべて。
「違いますよ」と女の子、慌てたように。
「食べもの? グルメなヤツ?」
「違うけど、少し近いです」
マスター、女の子の返事に、ふぅん、と唸ったような声を出して、首を傾げる。
「まぁ、食べものなんだね。亜沙美さんの読みそうなのって、名店ガイドとかスイーツ特集くらいしか思い浮かばないけど」
女の子、恥ずかしそうに唇を尖らせる。
「マスターって干物作ったことあります?」
「干物? アジとかホッケの?」
「そうです。何か最近興味あるんですよ。干物とか保存食に」
「昔、ちょっとだけやったことあるけどね。タイとかカレイとか。タイは鱗が面倒だったけど。カレイはわりと簡単だね。亜沙美さん、作ってるの? 干物?」
「一週間くらい前に、スーパーでアジが安かったんですよ。まぁ、あと、鮮魚コーナーのお兄さんがかっこ良かったってのもあるんですけど、勢いで大量に買ってしまって。家に帰ってどうしようかなと思ったんですけど、干物、って言葉が浮かんできて。それで何となくやってみたら意外と面白くて。最近魚を下ろすのが楽しいんですよ」
マスター、その言葉に思わず煙を漏らす。
「渋いよ、亜沙美さん」
「それで魚を下ろせるようになってきたら、何でもできるように思えてきたんですよ。糠漬けも、燻製も。で、今の目標は美味しい干物と糠漬けで朝食を作ることと、自家製のベーコンでモーニングを作ることなんです」と女の子。少し勝ち誇ったような顔で『これでプロの味! 保存食のコツ』と書かれた誌面を見せる。
誌面には燻製の行程が写真つきで説明されている。
「次は燻製に挑戦してみようかと」
マスター、またしても「渋いよ」と半笑いで言葉を漏らす。
「いいお嫁さんになれると思わないですか?」嬉しそうな笑みを浮かべながら。
マスター、首を傾げて「干物女子から、燻製女子って、いぶし銀過ぎて怖いよ。糠漬けでも、最近は結構面倒そうなのに」と。
「失礼ですね。燻製女子は糟糠の妻を越える存在ですよ」
「まさに煙たいだけのような」とマスター、煙草を大きく吸い込む。
そして、「愛も燻すほどに味が深まるんですよ」との女の子の言葉に、マスター、思わず咳き込んで、苦そうな笑みを浮かべる。
「どうだろう。燻された愛って。樹木希林的なものを感じるけど」
「素敵じゃないですか。私の憧れですよ」
「彼女は素敵だけど。あぁいう夫婦関係は大変そうだなと」
「大丈夫です。保存食ができれば、人生の何でも受け止められますから」
「逞しいよ、亜沙美さん」とマスターが苦笑して。
窓の外では雪が止んで、青い空が見えて。バイトの女の子が頬を膨らませて。
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2014年03月11日

性猫

寝返りを打つと、目の前に女の顔があることに気付いた。
正確には、居ることを思い出した、と云うのだろう。
女は猫に似た顔だった。
丸い輪郭に、大きな目、稜線の綺麗な鼻。
どこから来たのか、名前も、素性も話さない、そんな謎めいたところも猫のようだった。
私は寝息を漏らす女の頬を指でなぞった。ヒゲを描くように。右の頬と、左の頬に。
女はくすぐったそうに、僅かに動く。
その動きの愛らしさに、私はもう一度指で顔をなぞった。
と、女の呼吸が一瞬止まり、瞼が開いた。
闇の中で光る猫の目のように、黒い瞳が私を捉える。
そして、微笑む。
「まだ、朝には早いわ」と云って。
私は女の頬をゆっくり撫で、髪を撫でる。
長毛種の猫のように、滑らかな手触りだった。
女は気持ちよさそうに、息を漏らした。小さく赤い唇が艶かしかった。
私はその息に導かれるようにして、掌を彼女の肉体の一つひとつに這わせた。
項へ、耳孔へ、喉へ。そして、腕を、胸を、脚を。
漏れる息は肉体を下がっていくにつれ増えていった。
そして、私の掌は、彼女の臀部をなぞり、下腹部を包む。
と、女は身体を微かに振るわせて、か細い声で「ダメよ」と囁いた。
しかし、その言葉に反するように、女の表情は艶かしさを増している。
そして、猫が喉を撫でられるほどに歓喜の音を鳴らすように、女もまた、撫でられるほどに歓喜の声と音を漏らした。
「ダメって云っているのに」再び呟いて、含羞の表情を浮かべた。
私は、その愛らしい言葉を並べる女の唇が欲しくなった。
「ダメって云っているのに」
私が彼女の唇に唇を重ねると、女はそう言いながら、私の顔へ手を伸ばし、私がしたよりも丁寧に撫で始めた。仔猫が愛撫する手を丁寧に舐めるように。
そして、その手は、次第に私の肉体を下がっていった。
頬を、喉を、胸を、腹部を愛撫し、下腹部に達する。
「ダメ、なんじゃないの」
私が悪戯っぽく問い掛けると、女は唇を唇で塞いで「意地悪ね」と笑った。
そして、何度も唇を塞いだ。
私たちは、暗がりの中で互いを弄り、何度も身体を重ねた。
猫がじゃれ合うよりも激しく、肢体を押付けて。
肉体が暗闇に溶けそうなほどに。

それから暫くした新月の夜、女は居なくなっていた。
「恋の季節は旅がしたくなるの」女が云っていた言葉を思い出した。
街には沈丁花が香る頃のことだった。
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2014年03月10日

どうでも好い話、である。
数年前引越しをした先で、近所への挨拶を兼ねて飲み屋を回っていたのだが、そのときに聞いた話だ。
Nと云う一風変わった寿司屋があるのだが、そこの常連さんで数週間前に隣の学区に住まいを移された方がいたと云う。
「出るんですって、これが」町の特色や店について話している中で、Nの女店主は両手をだらりと前に突き出して、そう切り出した。
「ユーレイ、ですか」一応の確認をすると店主は大きく頷く。
そして、眉を顰めるようにして、「何でもですね−−」と話し始めたのだ。
寿司屋の近くにM通りと云うのがあり、そこには洋書店や癖のある古書店、見るからに怪しげな喫茶店や北欧雑貨の店なんかがあったりして、週末などは若い人たちで賑わっているのだが、そんな通りの脇にひっそりとその物件はあるのだと云う。
「アベックで住んでいたんですけど」
そこに住んで程なくして、週の半分ほど、深夜の決まった時間になると彼女が男性に向かって説教をするようになったのだと云う。
「元々は、彼女の仕事の都合でこっちの方に移って来たこともあって、仕事のストレスかな、とか思っていたんですって。だけど、職場の話を聞いても、とくにストレスはないようで」寧ろ、充実していたそうだ。
しかし、女性は自分がそんなことをしていることに自覚はなかったのだと云う。
夢遊病と思い、専門的な知識のある人に相談しても、どうも違うらしい。
「あと、丁寧に掃除機をかけても、夜になると長い髪があちこちに落ちていることが頻繁にあったり」
「台所が通路に面していて、調理中ガラス越しに人が通った気配があるのに、その気配はどの部屋にも入らずに消えてしまったり」と云うことがあったという。
それ以外にも、鏡に気配を感じたり、洗ったばかりのシャツに赤い口紅が付いていたり。
「女性の気配がしたんですって」
そのアベックはそんな状況でも2年ほど住んで移ったそうだが、引越しをすると彼女の説教はなくなり、髪や口紅の怪もなくなったと云う。
「別の人から聞いたんですけど、最近そこの部屋を紹介する業者が、『ここで良いんですか』って何度も確認するらしいんですよ」
そんな物件だからか、敷礼金がなくて、家賃も安く、結構見に来る人が多いそうだ。
「家賃が安くても、気の休まらないのは嫌ですね」女主人はそう云うと顰めた眉をほぐすように戯けた顔をして、焼酎の入ったグラスに口をつけた。

先日のことである。
そのアパートが老朽化で取り壊されたそうだ。
知人がその解体をしたのだが、2階の5号室の壁から大量の長い髪が出てきたと云う。
それと、男女の関係で悩む女性が綴った手記とが。
感情が憑依した部屋だった、とでも云うのだろうか。

部屋を選ぶ際にはくれぐれもご注意を。
posted by flower at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | novel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

足音

師走の昼下がり。客のいない店内にはゆっくりめのジャズが流れている。
と、新聞を広げて煙草を吸っているマスターが大きなクシャミをひとつ。
「風邪だなぁ」マスターが洟を啜る。
「珍しいですね。風邪をひかれるなんて」と、バイトの女の子が珍しげな視線を送る。
「何かね、昨日変な体験をしてね。それで朝飽きたら、身体が重くなってて。頭も重いし、目眩もしてね」首を傾げながら話すマスター。
それを見て、女の子がヒニクそうな笑みを浮かべる。
「飲んで、酔っ払って、ラーメン食べて、裸で寝て、とかじゃないんですか。それで、二日酔いと、肥満とで、とか。原因は不摂生じゃないかと」
マスター、不摂生は当たってるかもね、と苦笑まじりで返す。
「でもね、寝てるときにヘンな体験をしたんだよ。風邪が歩いてくる足音って言うか、お酒は少し飲んでたけど、今回はラーメンも食べてないし、裸で寝てもいないし。
とりあえず日付が変わる前くらいには床に就いたんだよ。たまには早く寝よって思って。
で寝たんだけど、何故か不意に夜中に目が醒めて。
まだ暗かったんだけど、もしかしたら朝方なのかなとか思って、一応時刻を確認したんだけど、時計はまだ午前2時ちょうどでね。
朝まで時間あるし、寝ようって思って眼を瞑ったんだけど」
と、女の子、「それって怖い話ですか」と。眉を顰めながら。
それに対して、マスター「どうだろう、微妙に怖いのかな。まぁ、大した話じゃないんだけど。とりあえず、眼を瞑ったんだよ」と、淡々と続きを話し始める。
「眼を瞑ってちょっとしたら、玄関の方で、コトンて何かが落ちる音がしたんだよ。一瞬、猫が何か落としたのかな、って思ったんだけど。他に音がしなくてね。猫が歩いてるような気配もないし。まぁいいやって思って寝ようと思ったら、暫くして、またコトンて音がして。今度はさっきより近いところで−−。
で、何だろうって考えてたら、また、コトンて。もっと近い場所で。
何かが近づいてるのかなって思っているうちに、部屋のすぐ傍で、コトン、て。
あっ、近いって思っているうちに、今度は部屋の隅で鳴って。何だろうって視線を移そうかと思っているうちに、今度は枕元で、コトン、て。
さすがに怖くなって目を閉じたら、次の瞬間、身体にドスン、て衝撃がきて、意識を失ったんだよ。で、朝目を醒ましたら、身体が重くなってて、風邪をひいていたっていう。
たぶん、あれは風邪の足音なのかなって。もしくは疫病神」
マスター、もう一度大きなクシャミをして、洟を啜る。
女の子、「マスターの生活って不思議な出来事多いですよね」眉を顰めたまま。
マスター、「そうかなぁ、まぁ、生きているといろいろあるからね」と淡々と煙草をくゆらす。
「そういえば、最近私もヘンな出来事に遭遇しましたよ。
この前、実家に電話をしようと思ったんですが、携帯電話のバッテリーが切れちゃって、公衆電話からかけようとしたんです。で、見つけたんですが、公衆電話って十円玉か百円玉しか使えないんですよね。だけど、財布の中には五十円玉しかなくて。
どうにかならないかなって、思っていたら、公衆電話の隣がバス停で、ちょうど、バス待ちの男性がいて。両替をお願いしたんです。五十円玉2枚を百円にしていただけませんかって。
そしたら、百円じゃ足りないでしょうって、二百円くれたんですよ。
で、その日って云うのが私の誕生日で、これは神様からの贈り物なんだと」
その話にマスター、笑い声を漏らす。
「それは、神様からの贈り物と云うより、亜沙美さんのなせる技と云うか。
よほど何か、悲壮感とか、哀愁とかあったんじゃない」
「失礼ですね。あれは神様の、私の日ごろの行いへの労いなんですよ」と頬を膨らます。
マスター、苦笑しながら「ちなみに、その百円て結局何に使ったの?」と。
女の子、恥ずかしそうに「コンビニで、肉まんを」と恥ずかしそうに。
ジャズの音楽を消すように、マスターの笑い声が響いて。
窓の外では、小雪が舞って。師走の時間が過ぎていく。
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2013年10月19日

殺しの手帖

1 路地
道路に落書きをする男。
そこに書かれる文字。
 人生を切り売りする時給800円
 歩けども黒い道止まれども黒い道
 犬でさえ棒に当たり私は案山子
 山の向こうに幻の祖国
 猫ばかりに視線が注ぐ橋の下
 人は落ちてどこへ行く蒼い園か
 死ね死ね死ねと云われるでもなく
 カラスにも帰る家
 電車から下りても宛てなどなけれ
 ハッパをくれハッパをくれ世界から消える為に


2 家
ハッパを吸っている女。
インターホンが鳴っているが無視している。
と、女の足下に並べられたカラフルな服。
 女:私は今、神と対話しているのだ。
   神は仰っている。
   『世界に革命を起こせ』と。
   『世界に革命の火を灯せ』と。


3 河原
黙々と石を積み上げる男女。
 男:積上げる石もなく。
 女:積上げられるは虚しき人生。
石には細かい履歴書のようなものが書かれている。
 男:私は未来に嘘を吐く。
 女:私は嘘の道を歩む。


4 街角
ギターを弾く男。
 声:この街にはロバート・ジョンソンが居る。
   歌うのはもちろんブルースだ。
   魂に空っ風。



5 家
小銭を並べる女。
 女:母親は金が一番だといつも云った。
   公務員になりなさいと。
   私は頑張ってなった。だけど、人生は最悪だ。
   金は貯まれども、私は小人。


6 アパートの階段
上がったり下りたりしている女。
 女:この中に幸せはありますか。
   この中に幸せはありますか。


7 部屋の中
縛られて倒れた男。
 声:縛られると云う行為は時として快楽である。
   人生を考えるよりも、箱の中に踞る方がどんなにか幸せだ。


8 公衆電話
 声:ピンクの電話も、緑の電話もなくなった。
   あるのは灰色の、デジタルの電話だ。
   会話までもがデジタル化されて。
   あなたに届くは、偽の声。


9 喫茶店の窓辺
コーヒーポットに溜まっていくコーヒー。
緑色の紙を挟んで退屈そうな男と女。
 男:きみのことが嫌いになったんぢゃないんだ。
   二人の間に黒い時間が堆積しただけなんだ。
 女:ウソツキ。
 男:僕が嘘を吐いたんぢゃない。
   世界が嘘ばっかりだったってそれだけさ。


10 洗面所
鏡に向ってピストルを構えている男。
 男:手を上げろ。
   今からオレはたったふたつの簡単な質問をする。
   イエスかノーで答えろ。
   それ以外なら撃つ。
   ひとつ、お前は生きてるのか。
   ふたつ、人生は愉しいのか。


11 朝の街
ベンチに腰掛けビールを飲んでいる男。
その隣で花びらを千切っている女。
 女:ひとつ千切っては母の為。
   ふたつ千切っては父の為。
   みっつ千切っては祖母の為。
   よっつ千切っては祖父の為。
   いつつ千切っては姉の為。
   むっつ千切っては兄の為。
   ななつ千切っては彼の為。
   やっつ千切っては誰の為。
   ここのつ千切って誰の為。
   千切れるばかりで私は居ない。
   朝日が昇って月が消え、死んだ私の影が伸び


12 公園
野良猫。


13 茶の間
正座してテレビを観ている男。
ブラウン管には砂嵐。


14 駅前
携帯電話で話している人の隣で糸電話で話す二人。
 声:携帯電話と糸電話。
   伝える言葉の重みはどちらが重いのだろうか。
   温もりはどちらが伝わるのだろうか。


15 街
街角に花を並べていく女。
 女:私はこの世界に火を灯す。
   花は起爆剤で、心の中に火を灯すのだ。


16 野原
倒れた男。
 男:酒をくれ、酒をくれ。
   今日を忘れる酒をくれ。
   明日を見させる酒をくれ。


17 回想
キッチンのドアを開けると包丁を握りしめ見つめる女。
 声:或る日見た母の姿は、私への呪いへと変わった。


18 川沿いの道
聖書を朗読する男。


19 台所
米を磨ぎ続ける女。
 女:磨いでも磨いでも白く濁る。
   トイデモトイデモ、トイデモ、シロクニゴルノ。
   佐々木サンが、私のことイヤラシい目で見るの。
   あぁ、イヤだ。
   こんな白いのはどっかに行っちまえば良いのに。


20 細い路地
道路に『キャラメル食べて、300メートル』の文字。
空き缶が転がっていく。


21 部屋
丼に入ったラーメンを啜る男。
 男:飯を食うのは何の為。明日が来るのは誰の為。
    お前ぇには、開く夢などあるのかい。


22 インクライン
線路の枕木の上を歩く男。
 声:昔は列車が走ったこの場所も、今では寒い風ばかり。
   温もりを求めるならどこへ行けば良いですか。
   愉快に笑うテレビの中かい。
   キレイに輝くネオン街かい。
   灯りの点いたリビングかい。
   温もりはどこにあるんだい。教えてくれよ。
--------------------------------------------------------------------------------
人類は、世界によって殺められ、と云えば虚しき神無月。

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2013年09月16日

太鼓

ふれ太鼓、と云うのをご存知だろうか。
何かを広く人に知らせる為の太鼓のことだが。
よく知られているのは、火事のときに鳴らされたものや大相撲の興行の始まりを伝えたものではないだろうか。
しかし、こうしたものとは逆説的な、悪い事の予兆として太鼓がひとりでに鳴りだした、と云う噺が私の田舎にはあった。
記憶では、貧しい生活を送っていた老夫婦が、山で遭遇した鬼に善行を施したところ、お礼に不思議な太鼓が贈られたのだが、それは天災や火事が近づくとひとりでに鳴りだし、村人を災難の及ばない場所へ誘い、命を守ったというものだった。そして老夫婦は、村の人たちから感謝され、幸せに暮らしたと云う内容だった。

そして、ここからは昨年遭った私の友人の話になるのだが。
「先日、嫁が子どもを連れて家を出ていった」と云う。
先日と云っても、その間に三度満月と新月が訪れ、季節は紫陽花の頃から蟲の啼き声が夜の闇に響く頃へ移った。
原因はここでは重要ではないので省くが、或る日、彼が帰宅すると半分ほどの荷物がなくなり、ただ、「さようなら」と書かれた紙だけが、ポツンと机の上に置かれていたそうだ。連絡を取ろうにも取れず、何とも遣る瀬ない日々を送っているとぼやいていた。
しかし、しばらくして、異変が訪れたのだと云う。
「嫁が置いていったものの中に、娘のおもちゃがあってね。電池式のものなんだが、触れると太鼓の音が鳴るやつが。それが、最近、ひとりで鳴るんだよ」
「何かの振動で鳴るのかな、と思って場所を移してみたのだが、やはり鳴る。それで柔らかいものの上に載せたのだが、それでも鳴る。仕方がないから、電池を外したんだけど、鳴るんだよ。と云うか、鳴っているようにオレの耳には聞こえるんだ」
「奇魅が悪いもんで、捨てようとも考えたんだが、娘のものだからと考えると、なかなか手放せなくてね」
「今もときどき鳴るんだよ。トントン、トントン、て」
友人はそう云うと寂しげな表情を浮かべて、大きなため息を吐きながら帰っていった。
ちょうどその頃私の周囲もバタバタしていて、彼の話しを忘れていたのだが、暫くしてまた、彼と遭遇した。相変わらず奥さんとは連絡が取れないのだそうだ。
「家を引越したんだ。家族用の広い家だったからね。がらんとした空間の中に独りで居ると、娘の描いた絵とか家族の写真とか、あの頃のものがありすぎて、何とも寂しさに潰されてしまいそうでね。妻と娘の帰りを待っていても、どうにも判らないし。だけど」
と、そこで彼は顔を顰めて云うのだ。
「引越した二日後、隣の家から出火して、延焼して、オレの住んでた家まで燃えてしまってね。普通ならちょうど寝ている時間だったから、もしかするとオレも火に包まれてたか、煙で燻されていたか判らないな」
消防署の調べでは、隣家の漏電が原因だったそうだ。
彼は神妙な顔で火事の話しをしてくれたのだが、ふと思い出したように
「引越しを考えていると、あの太鼓が鳴ったんだ。トントン、トントンと。何かをこちらに伝えるように」と云うのだった。
「離れていても、娘さんは君のことを想っていてくれたのかもね」
私は彼の言葉にそう返したのだが、彼は泣いてるような笑ってるような表情を浮かべていた。
その後彼はどうなったのか判らないが、幸せになっていたらと思う。
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2013年09月08日

性癖

自分ではない誰かになってみたい、生きていれば、そう思うこともあるのだろう。
ただ、その女は、その願望が極めて強いひとだった。
或るときは、ネオン街の夜の蝶に。或るときは、異国の踊り子に。また或るときは、有能な社長秘書になった。
派手な化粧をして(或るときは控えめに)、艶かしい服を着て(或るときは地味な装いで)、その職業を演じた。
スノウビッシュに穏やかな言葉を並べるときも、また、その逆にヒステリックに感情が滲み出たようなときもあった。
そして、普段の控えめな彼女とは思えない存在に豹変した。
彼女曰く、「こういう状況の方が、燃え上がるじゃない」とのこと。
そして、「自分じゃない誰かの方が、自分の裡に潜む自分が現れるの」と。
女は、仮令どんな地味な装いであっても、ベッドの上では大胆に振る舞った。
口に含んだブランデーを口移しで寄越したり、私の着衣を手を使わずに脱がしたりした(どのような手法かはご想像に任せるが、とてもセクシーな行為だった)。

或る夜のことである。その日はずっと雨の音が街を覆っていた。
私たちは町外れのモーテルで、週末のひとときを過ごしていた。
そのときの彼女は娼婦のような恰好だった。
手の指には真っ赤なマニキュア。唇にも真っ赤な口紅。網タイツから見える足の指にも真っ赤な色が見えた。そして、マスカラとシャドーでアイラインを強調したメイク。
紫のブラウスに、紫のスカート。白く細い首には、銀色のネックレスが掛けられ、その細さに更なる魅力を与えていた。
女は言う「今晩は、ご指名下さり、ありがとうございます」と。
また、「今宵は、精一杯のおもてなしをさせていただきます」と。
女は艶やかな目で私を見つめたまま、顔を近づけ、軽く唇を重ねた。
柔らかい唇が三度、四度と接触し、不意に軽く唇を噛まれ、舌が挿し込まれた。
それに呼応して、女の指が私の顔を撫でる。
二匹の蛇が絡み合うように、私たちの身体が縺れ合う。
互いの指が、互いの肌の上を這い、あらゆる場所を刺激する。
耳孔、項、首、胸の膨らみ、太腿、臀部−−。
そして私の指が、女の最も敏感な部分に到達したときには、雨に濡れたように、潤いに充ちていた。
私は訊ねる、「いつの間に、こんなに濡らしたんだい」と。
女は答える、「あなたの唇に触れたときからよ」と。
そして、「あなただって濡れてるわ」と、私のそれを弄びながら濃密な口づけをした。
柔らかい唇と舌先による甘美な感触が私を包み込み、全身のどの部分への愛撫よりも淫らな気持ちへ導いていった。
女は言う、「ちょうだい」と、淫らな表情で。
女は仰臥した私の上に跨がり、自身の濡れた花びらで、先ほど口づけしていた部位を包み込んだ。
言葉にならない声が漏れた。

窓の外では雨の音がしていた。そして、この部屋の中には、雨に濡れたような、私たち二人の結ばれた情交が、ぴちゃぴちゃと響いていた。
posted by flower at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 淫詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月17日

宝くじ

マスター、ご機嫌そうに口笛を吹きながら店内に入ってくる。
それを見て、バイトの女の子「暑さでおかしくなったんですか?」と。
マスター、軽く笑って「ちょっといいことがあってね」と、煙草を取り出してくわえる。
女の子、「奇遇ですね。私もいいことがあったんですよ」と、グラスを磨きながら。
「亜沙美さんのは、食べもの? 誰かに焼肉に誘われたとか」煙草に火を点けて、吐く。
「違いますよ。食べものは当たってますけど、誘われてはいないです」
マスター、唸り声を上げながら「うなぎ、か、お寿司?」
「うなぎもお寿司も焼肉も好きですけど、私、そんなにこってり派じゃないですから。もっと、素朴で、オシャレな食べものです」女の子の頬が、少し膨らむ。
「メロン?」眼を細めて、首を傾げながら。
「残念でした。桃、です」
「あぁ、そう言えば、前にそんなこと言ってたね。桃、ね。田舎の」マスター、頷きながら。
「そうなんですよ。待ち遠しかったんですけど、田舎からようやく届いて、私的にはこれで夏本番です」女の子、息巻くようにして。
その様子を笑いながら、マスター、「もう、お盆過ぎたら、夏も終わりだよ」と。
ちょっとうんざりした様子で、「まぁ、いいんです。夏は短い方が」呟くように。
「ところで、マスターのいいことって何だったんですか?」
「宝くじが当たってね」とマスター、嬉しそうな表情を浮かべる。
女の子も、一瞬嬉しそうな表情を浮かべる。
「300円てオチじゃないですよね? いくらですか? 1000万円とか?」
「亜沙美さん、言っておくけど、オレ、そこまでくじ運ないから」若干の苦笑を浮かべながら。
「3000円。一応、3枚買ってだから、効率的にはいいよね」
「それでもいいですね。お寿司かうなぎ食べましょうよ」
「回ってるお寿司ならご馳走できるかな。うなぎは赤字になるからダメだけど」
「でも、珍しいですね。夏場は運気が下がるっていつも言ってたのに」
頷きながら、マスター、気持ち良さそうに煙草の煙を大きく吐き出す。
「まぁ、たまにはこんなこともあるんじゃない。
というかね、今回のは、ちょっと当たるかなって思ったんだよね。
この前、飲みに行ったときに、直前に古本屋で面白そうな本を買ったの。100円で。
で、飲み屋に行ったら、気前よく振る舞ってくれる御仁がいてね。お礼に、その本を上げたんだよ。そしたら、その本が気に入った、って2000円寄越してね。
悪いと思ったから、返そうとしたんだけど受け取ってくれなくて。それで、まぁ、せっかくだから半分は飲み代に回して、半分で宝くじを買ってみたんだよ。
何となく、こういうときって、いいことが続いたりするからね。
で、宝くじを買ったら、実際に当たったていう」
女の子、「わらしべ長者ですね」と感心しながら。
「そうだね、100円が3000円だからね。で、次はこれで馬券でも買ってみようかなとちょっと思ってるんだけど」
と、嬉しそうな表情を浮かべているマスターに対し、女の子の表情が曇る。
「たぶん、今までの展開でいくとそろそろ潮時なんじゃないですか。競馬は、大損しますよ。競輪とか、競艇とかも」
「かもね。じゃぁ、亜沙美さんは何に投資したらいいと思う?」
「もちろん、私ですよ。高いものを戴くほどに、貢献できるかと。回らないお寿司とか、高級焼肉とか」
「思いっきり赤字だね」と、マスターが失笑して、時計の鐘が鳴って。
昼下がりの窓の外には大きな入道雲が沸き上って。

posted by flower at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 喫茶 ベダード   | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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