2011年10月01日

これは2、3年前に聞いた話である。
その頃わたしが手伝っていたバーにときおり飲みにきていた、***と名乗った四十代後半の男性からである。
彼の育った田舎と云うのは、今でこそ少なくはなったものの、俗信が多い集落であったそうだ。
「蛇の日の暦を踏むと、山で蛇に襲われる。田植えの夢は不幸の前兆。葬式の日以外で水にお湯を足してはいけない−−祖母も、母も、叔母も皆そんなことばかりを口にしていた。地震が起これば「マンザラク マンザラク」と云うマジナイを唱え、大地が鎮まるのを願ったり。あのときにはこれ、それのときにはこう、とかなりの数の俗信やマジナイがあったが、祖母も叔母も、私の母も、集落の人たちは皆それらを意識していたよ。
寧ろ生活自体がそうしたものの上に成立していたんじゃないかな。
城下町の出身で、先進的な教育を受けた入り婿の父を除いて、皆信じていたよ」
「そんな俗信のひとつに、『烏啼き』と云うものがあったんだ。
烏が停まって、啼いている家には不幸が起こる、と云うものであったんだけど。
父の言葉に拠れば−−
墓場のお供え物に慣れた鳥だから、葬式があれば餌にありつけるのを知っているのだろう。不幸が起こった後にやってくるのだが、人々の間では不幸と烏とのイメージが結びつき、いつしか逆に先行する形で、烏の訪れが不幸を招くと思われるようになったのだろう。
とのことで、私は子どもながらに妙に納得していた。こういったら生意気だが、科学が無知に光を差す、とそれがきっかけで思うようになっていったのだ」
「私は大学への進学を機に都会へと出、卒業後も帰郷することなく都会での生活を続けていた。その間に私は件の俗信を意識しないようになっていた。科学云々と云うのもあるが、都会では田舎とは同じ記号でも別な意味を持つもので、烏に関しても害鳥と云う意識しか持たないようになっていたからだが、数日前に、ふと思い出してね」
「オフィスビルと信号以外に何にもないような交差点で、やたらと烏が啼くのだよ。
大きな交差点の電柱に停まって。カァカァ、と。気味が悪くてね。
しかも、私の働くオフィスの窓が、啼いている烏と丁度同じ高さでね。職場の皆がうるさいからって烏をそこから追い払おうとするんだけど、不思議と戻ってくるんだ。
結局、その日は夕方になるまで、そこで啼いていたんだが。
翌朝出社すると、ビルの前の交差点に人が集まっていてね。
野次馬的に聞いてみると、事故があったというんだよ。子どもの飛びだしらしいんだけど、ふざけ合っていた子どものうちのひとりが何かの拍子に道路に出てしまって、偶然にもパトカーに追われた猛スピードのクルマがやってきて−−ぶつかってしまったんだそうだ。
で、その話を聞いたときに思い出してね。烏の話を。
偶然にもその烏が向いて啼いていた方が、丁度その現場だったんだ。
アイツらと云うのは、実は本当に不幸が起こるのを知っているのかも知れんね」

何でこの話をしたかと云うと、同じような状況に遭遇したからである。
数日前にちょっとした用で旧友の家を訪ねることになったのだが、隣の家の屋根に烏が停まり、啼いていたのである。一軒家に、数羽の烏が、並んで。
そのときに具体的にどうと云うわけではないが、うっすらと黒い影を感じたのである。
それが今朝の新聞に、強盗が押し入り−−と載っていたのである。
posted by flower at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | novel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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