2013年06月30日

絵画

ずいぶん前に趣味の良い友人Aが遊びに来た際、「旅の土産だ」と云って一枚の絵画を置いていった。それはバリ島で手に入れたとかで、細かな筆致で、と云うより寧ろ微粒子を捉えたような、小さな点々を結んで空間に対象物を浮かび上がらせた技法で描かれ、これまで私が目にしてきた欧州の絵画とも日本の絵画とも、ましてや中国のそれでもない作風だった。絵画は手彫りの木の額に収められていた。
そこに描かれていたものは、A曰く「イカした “悪魔”」だとかで、奇妙な風采の、極彩色の服を纏った“悪魔”が暗闇の中に潜んでいるものだった。
「こいつは、日本の鬼子母神の原型だぜ」
Aはその絵画を手に入れた経緯を含め、あれこれと彼の審美眼が旅先で何に反応したのかを語って寄越したが、私はその奇妙な絵に眉を顰めながら、もうひとつの土産であるアラックを口に運んだ。その絵画は仕事場に飾ることにした。
奇妙な“悪魔”の絵は独特の空気感を漂わせており、飾ってみるとやはり違和感を持っていて仕事場の雰囲気に異質なテイストをもたらしたが、次第に私のなかではその異質さは日常の風景のアクセントへと消化されていった。
ただ、初めて訪れた編集者や客人はその絵画に一度は目を惹かれ、皆「ちょっと怖いですね」と口にしていった。
2年ほど経った頃だろうか。アシスタントで雇った美形の女の子が、部屋の掃除の際に、その絵画を落としたのだった。「埃を取ろうと思って」ハタキをかけたときに、留めていた金具から外れて落ちてしまったそうだ。
暗闇の部分に裂け目ができたのだが、まぁ暗闇の部分だから目立ちもしないし、と私は何もせずに置いておいたのだが、それ以来しばしば不幸が重なった。
長年職場で飼っていたインコが籠の中で亡くなっていたのを始めに、生い茂っていた観葉植物が枯れ、電気製品が不調になるなど、何となく厭な空気感が仕事場に漂い出した。そうなってくると、仕事の方にも悪影響が現れ始め、些細なミスが大きな失敗を招いたり、仲の良かった出版社と諍いが起きたりで、日常的に苛立つことが続いた。
私はその絵画の所為だとは思っていなかったが、アシスタントは、その“悪魔”に似た何かが夜中に仕事場を徘徊しているのを見たとかで、不調の原因を“悪魔”の所為だと主張するのだった。
「お財布を忘れて、事務所に取りに戻ったんですが、入口のドアを開けると人影が見えたんです。最初、空き巣かと思い、警察に通報しようとしたんです。携帯電話を取り出して、番号を入力して−−とそこでもう一度人影を確認しようとしたんですが、目の前で消えてしまったんです。音もなく、本当に一瞬で」
私はその話を聞いて、逆にその絵に興味を持ち、まじまじと観察してみた。以前と何かが違っているように思うが、何が違うのか判らない。ただ、違和感が存在している。
と、私の背後から見ていた女史が、怯える声で「牙が伸びてます」と呟いた。
確かに以前は見えなかった牙らしきものが、口の端から伸びている。
数日後、件の女史は辞めてしまった。
後日談だが、件の女史が去った際、幾ばくかの現金がなくなっていることに気付いた。少なからずこの間起きていたトラブルも彼女に起因するものだということが判った。
悪魔よりも、小悪魔か−−と私は心のなかで呟いた。
牙の伸びる絵画−−趣味の悪い私は、悪魔が現れたならどんな契約を結ぼうかと夢想しながらその絵を未だに飾っているが、残念ながら一度もお目にかかれていない。
posted by flower at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | novel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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