2013年07月11日

備忘録

路地裏の牧師は云う。
「自然界に直線は存在しない。だから、人生も真直ぐに進みえないのだ」と。
続けて神父は云う。
「紆余曲折を経て、神により決められた何処かに辿り着く。そう云うものなのだ、人生とは」と。
憂鬱も人生に於いては、何処かに辿り着く過程のひとつなのだろうか。

先日逮捕されたK氏の、猟奇的な犯行の動機は
「愛が欲しくて、唇を奪ってしまいたくなった」と云うものだった。
そのために、何人もの唇が彼の手によりより奪われてしまった。
果たして彼は幸せを感じることはできたのだろうか。

夢の世界に埋没しても、寂しい現実が私を追いやる。

ミルキィが母の味なら
父の味は何だろう
マイルドセブンか神の河か
苦くつらい思い出か

愛情と憎しみが冬の泥濘のように混じってしまった。
日常は灰色で、身体を重ねても、心は何マイルも離れているようだった。

「愛してる」と十回云っても互いの肉体は冷たいままだった。
手と手を重ねても、風が吹けばどこかへ飛んでいく奴さんのようで、ただただ知らないフリをすることで存在をつなぎ留めていた。

猫氏曰く「誰も信じられなくなったなら、自分の顔を見つめる以外にない」とのこと。

「愛を求めても、愛し方を知らなかったら、小鳥のように飛んでいってしまうよ」

私はあの人が残していったコーヒー豆をミルにかけ、ゆっくりとドリップしてみた。
焦げ付いた時間のような、黒っぽい液体がサーバーに溜まり、あの人の口紅がついたカップに注いで飲んだ。
苦さばかりが口の中に広がる。
憂鬱と寂しさがない交ぜになった味だった。

あの人の白い肌。
あの人の黒い髪。
あの人の大きな目。
あの人の柔らかい唇。
あの人の細く長い四肢。
あの人の果実のような香り。
夏の夜はそんな記憶ばかりを私に突きつけてくる。

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2013年07月06日

かたつむり

昼下がりの店内、ラジオからボサノバが流れている。
それに合わせるかのように鼻ずさみながらバイトの女の子が窓ガラスを磨いている。
と、不意に手を止めて、ガラスをまじまじと見つめる。
「亜沙美さん、何かあった?」
マスター、グラスを磨いていた手を止めて、女の子の背中に声をかける。
「カタツムリが、ガラスの向こう側に」女の子、単語を並べるように返答する。
「まぁ、梅雨だからね。にしても、気持ち悪くない?」マスター、苦笑を浮かべて。
「気持ち悪いんですけど、こんな風にしてみたことがなかったので、ちょっと見入ってしまいました」女の子が、少しだけ恥ずかしそうに笑いながら振り返る。
「亜沙美さんらしいね」マスター、煙草に火を点けて、少し呆れたように。
と、何かを思い出して笑う。
「そう言えば、昔付合ってた人にナメクジが苦手だっていう人がいてね。もう、見ただけで発狂しそうになるんだけど。そんな人が、ナメクジと風呂場で遭遇してね。
キャーって叫ぶから、何だろうって思って慌てて行ってみたら、全裸の彼女がお風呂場の隅っこで怯えてて。指さす方を見ると大きなナメクジが居て。
でさ、なぜかオレ、そのときにケチャップ持ってたんだよ。何でだろう。
まぁ、それを彼女が見つけて。ケチャップをオレから取り上げて。
で、ナメクジにグジュってかけて。
凄まじい光景だったよ」
女の子、引き攣ったような笑みを浮かべながら「セイサンな光景ですね」と。
マスター、頷きながら、白いケムリを吐く。
「これまでの人生で三番目くらいに凄まじい光景だったね。血のような、真っ赤な液体の中でのたうってるんだよ、ナメクジが。サスペンスドラマの被害者みたいに」
マスター、その様子を自身の肉体で表現する。
「でも、何でケチャップ持ってたんですか?」女の子、首を傾げながら。
マスターも首を傾げて。
「オムライスでも作ってたのかな。それ以外に使うことはないからね。
オムライスの上に文字を書こうとしてたとか。エル、オー、ブイ、イーとか」
カウンターに指で文字を書きながら。
「それも、ある意味、セイサンですよね」女の子が笑う。苦笑を浮かべるマスター。
「亜沙美さんもやったことあるの? ケチャップ文字?」
「二回ぐらい。付合ったばかりの男の子に、人間だものって書いたオムライスを出したら、思いっきり引かれましたよ。失敗したオムライスをフォローしたつもりだったんですけど」
「なかなかシュールだね」マスターの鼻からケムリが漏れる。
「ちなみに、これまでの人生で体験した凄まじい光景の一番と二番は何ですか?」
「二番はケンカをしたときの相方の怒りっぷり。平和な都市が空爆で壊されていくような暴れっぷりで、部屋がメチャメチャだったからね。まぁ、原因はこちらなんだけど」
「じゃぁ一番は?」
「凄まじいというか、ある意味ショッキングだったんだけど。
居眠りをしているときの、亜沙美さんの寝顔。女子という存在に初めて疑いを抱いたからね。ヨダレが口の端から滴る光景に」マスターの人差し指が口の端を示している。
「まぁ、美人も人間ですもの」女の子、そう言って軽やかに笑って。
窓の外では、紫陽花色の風が吹いて、風鈴を揺らして逃げて。
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