2014年03月24日

燻製

煙草を吸いながら窓の外を眺めているマスター、「雪だね」と呟くように。
雑誌に目を落としていたバイトの女の子が顔を上げて窓の外を見る。
「一昨日はとても暖かかったのに、急ですね」
「まぁ、三寒四温の季節だからね」とマスター、煙草の煙を輪っかのように吐出して、視線を女の子の方へと移す。
女の子が少し恥ずかしそうに雑誌の記事をマスターの視線から隠そうとする。
「何かイヤラシイものでも読んでたの?」マスター、薄笑いを浮かべて。
「違いますよ」と女の子、慌てたように。
「食べもの? グルメなヤツ?」
「違うけど、少し近いです」
マスター、女の子の返事に、ふぅん、と唸ったような声を出して、首を傾げる。
「まぁ、食べものなんだね。亜沙美さんの読みそうなのって、名店ガイドとかスイーツ特集くらいしか思い浮かばないけど」
女の子、恥ずかしそうに唇を尖らせる。
「マスターって干物作ったことあります?」
「干物? アジとかホッケの?」
「そうです。何か最近興味あるんですよ。干物とか保存食に」
「昔、ちょっとだけやったことあるけどね。タイとかカレイとか。タイは鱗が面倒だったけど。カレイはわりと簡単だね。亜沙美さん、作ってるの? 干物?」
「一週間くらい前に、スーパーでアジが安かったんですよ。まぁ、あと、鮮魚コーナーのお兄さんがかっこ良かったってのもあるんですけど、勢いで大量に買ってしまって。家に帰ってどうしようかなと思ったんですけど、干物、って言葉が浮かんできて。それで何となくやってみたら意外と面白くて。最近魚を下ろすのが楽しいんですよ」
マスター、その言葉に思わず煙を漏らす。
「渋いよ、亜沙美さん」
「それで魚を下ろせるようになってきたら、何でもできるように思えてきたんですよ。糠漬けも、燻製も。で、今の目標は美味しい干物と糠漬けで朝食を作ることと、自家製のベーコンでモーニングを作ることなんです」と女の子。少し勝ち誇ったような顔で『これでプロの味! 保存食のコツ』と書かれた誌面を見せる。
誌面には燻製の行程が写真つきで説明されている。
「次は燻製に挑戦してみようかと」
マスター、またしても「渋いよ」と半笑いで言葉を漏らす。
「いいお嫁さんになれると思わないですか?」嬉しそうな笑みを浮かべながら。
マスター、首を傾げて「干物女子から、燻製女子って、いぶし銀過ぎて怖いよ。糠漬けでも、最近は結構面倒そうなのに」と。
「失礼ですね。燻製女子は糟糠の妻を越える存在ですよ」
「まさに煙たいだけのような」とマスター、煙草を大きく吸い込む。
そして、「愛も燻すほどに味が深まるんですよ」との女の子の言葉に、マスター、思わず咳き込んで、苦そうな笑みを浮かべる。
「どうだろう。燻された愛って。樹木希林的なものを感じるけど」
「素敵じゃないですか。私の憧れですよ」
「彼女は素敵だけど。あぁいう夫婦関係は大変そうだなと」
「大丈夫です。保存食ができれば、人生の何でも受け止められますから」
「逞しいよ、亜沙美さん」とマスターが苦笑して。
窓の外では雪が止んで、青い空が見えて。バイトの女の子が頬を膨らませて。
posted by flower at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 淫詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

性猫

寝返りを打つと、目の前に女の顔があることに気付いた。
正確には、居ることを思い出した、と云うのだろう。
女は猫に似た顔だった。
丸い輪郭に、大きな目、稜線の綺麗な鼻。
どこから来たのか、名前も、素性も話さない、そんな謎めいたところも猫のようだった。
私は寝息を漏らす女の頬を指でなぞった。ヒゲを描くように。右の頬と、左の頬に。
女はくすぐったそうに、僅かに動く。
その動きの愛らしさに、私はもう一度指で顔をなぞった。
と、女の呼吸が一瞬止まり、瞼が開いた。
闇の中で光る猫の目のように、黒い瞳が私を捉える。
そして、微笑む。
「まだ、朝には早いわ」と云って。
私は女の頬をゆっくり撫で、髪を撫でる。
長毛種の猫のように、滑らかな手触りだった。
女は気持ちよさそうに、息を漏らした。小さく赤い唇が艶かしかった。
私はその息に導かれるようにして、掌を彼女の肉体の一つひとつに這わせた。
項へ、耳孔へ、喉へ。そして、腕を、胸を、脚を。
漏れる息は肉体を下がっていくにつれ増えていった。
そして、私の掌は、彼女の臀部をなぞり、下腹部を包む。
と、女は身体を微かに振るわせて、か細い声で「ダメよ」と囁いた。
しかし、その言葉に反するように、女の表情は艶かしさを増している。
そして、猫が喉を撫でられるほどに歓喜の音を鳴らすように、女もまた、撫でられるほどに歓喜の声と音を漏らした。
「ダメって云っているのに」再び呟いて、含羞の表情を浮かべた。
私は、その愛らしい言葉を並べる女の唇が欲しくなった。
「ダメって云っているのに」
私が彼女の唇に唇を重ねると、女はそう言いながら、私の顔へ手を伸ばし、私がしたよりも丁寧に撫で始めた。仔猫が愛撫する手を丁寧に舐めるように。
そして、その手は、次第に私の肉体を下がっていった。
頬を、喉を、胸を、腹部を愛撫し、下腹部に達する。
「ダメ、なんじゃないの」
私が悪戯っぽく問い掛けると、女は唇を唇で塞いで「意地悪ね」と笑った。
そして、何度も唇を塞いだ。
私たちは、暗がりの中で互いを弄り、何度も身体を重ねた。
猫がじゃれ合うよりも激しく、肢体を押付けて。
肉体が暗闇に溶けそうなほどに。

それから暫くした新月の夜、女は居なくなっていた。
「恋の季節は旅がしたくなるの」女が云っていた言葉を思い出した。
街には沈丁花が香る頃のことだった。
posted by flower at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 淫詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

どうでも好い話、である。
数年前引越しをした先で、近所への挨拶を兼ねて飲み屋を回っていたのだが、そのときに聞いた話だ。
Nと云う一風変わった寿司屋があるのだが、そこの常連さんで数週間前に隣の学区に住まいを移された方がいたと云う。
「出るんですって、これが」町の特色や店について話している中で、Nの女店主は両手をだらりと前に突き出して、そう切り出した。
「ユーレイ、ですか」一応の確認をすると店主は大きく頷く。
そして、眉を顰めるようにして、「何でもですね−−」と話し始めたのだ。
寿司屋の近くにM通りと云うのがあり、そこには洋書店や癖のある古書店、見るからに怪しげな喫茶店や北欧雑貨の店なんかがあったりして、週末などは若い人たちで賑わっているのだが、そんな通りの脇にひっそりとその物件はあるのだと云う。
「アベックで住んでいたんですけど」
そこに住んで程なくして、週の半分ほど、深夜の決まった時間になると彼女が男性に向かって説教をするようになったのだと云う。
「元々は、彼女の仕事の都合でこっちの方に移って来たこともあって、仕事のストレスかな、とか思っていたんですって。だけど、職場の話を聞いても、とくにストレスはないようで」寧ろ、充実していたそうだ。
しかし、女性は自分がそんなことをしていることに自覚はなかったのだと云う。
夢遊病と思い、専門的な知識のある人に相談しても、どうも違うらしい。
「あと、丁寧に掃除機をかけても、夜になると長い髪があちこちに落ちていることが頻繁にあったり」
「台所が通路に面していて、調理中ガラス越しに人が通った気配があるのに、その気配はどの部屋にも入らずに消えてしまったり」と云うことがあったという。
それ以外にも、鏡に気配を感じたり、洗ったばかりのシャツに赤い口紅が付いていたり。
「女性の気配がしたんですって」
そのアベックはそんな状況でも2年ほど住んで移ったそうだが、引越しをすると彼女の説教はなくなり、髪や口紅の怪もなくなったと云う。
「別の人から聞いたんですけど、最近そこの部屋を紹介する業者が、『ここで良いんですか』って何度も確認するらしいんですよ」
そんな物件だからか、敷礼金がなくて、家賃も安く、結構見に来る人が多いそうだ。
「家賃が安くても、気の休まらないのは嫌ですね」女主人はそう云うと顰めた眉をほぐすように戯けた顔をして、焼酎の入ったグラスに口をつけた。

先日のことである。
そのアパートが老朽化で取り壊されたそうだ。
知人がその解体をしたのだが、2階の5号室の壁から大量の長い髪が出てきたと云う。
それと、男女の関係で悩む女性が綴った手記とが。
感情が憑依した部屋だった、とでも云うのだろうか。

部屋を選ぶ際にはくれぐれもご注意を。
posted by flower at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | novel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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