2013年07月06日

かたつむり

昼下がりの店内、ラジオからボサノバが流れている。
それに合わせるかのように鼻ずさみながらバイトの女の子が窓ガラスを磨いている。
と、不意に手を止めて、ガラスをまじまじと見つめる。
「亜沙美さん、何かあった?」
マスター、グラスを磨いていた手を止めて、女の子の背中に声をかける。
「カタツムリが、ガラスの向こう側に」女の子、単語を並べるように返答する。
「まぁ、梅雨だからね。にしても、気持ち悪くない?」マスター、苦笑を浮かべて。
「気持ち悪いんですけど、こんな風にしてみたことがなかったので、ちょっと見入ってしまいました」女の子が、少しだけ恥ずかしそうに笑いながら振り返る。
「亜沙美さんらしいね」マスター、煙草に火を点けて、少し呆れたように。
と、何かを思い出して笑う。
「そう言えば、昔付合ってた人にナメクジが苦手だっていう人がいてね。もう、見ただけで発狂しそうになるんだけど。そんな人が、ナメクジと風呂場で遭遇してね。
キャーって叫ぶから、何だろうって思って慌てて行ってみたら、全裸の彼女がお風呂場の隅っこで怯えてて。指さす方を見ると大きなナメクジが居て。
でさ、なぜかオレ、そのときにケチャップ持ってたんだよ。何でだろう。
まぁ、それを彼女が見つけて。ケチャップをオレから取り上げて。
で、ナメクジにグジュってかけて。
凄まじい光景だったよ」
女の子、引き攣ったような笑みを浮かべながら「セイサンな光景ですね」と。
マスター、頷きながら、白いケムリを吐く。
「これまでの人生で三番目くらいに凄まじい光景だったね。血のような、真っ赤な液体の中でのたうってるんだよ、ナメクジが。サスペンスドラマの被害者みたいに」
マスター、その様子を自身の肉体で表現する。
「でも、何でケチャップ持ってたんですか?」女の子、首を傾げながら。
マスターも首を傾げて。
「オムライスでも作ってたのかな。それ以外に使うことはないからね。
オムライスの上に文字を書こうとしてたとか。エル、オー、ブイ、イーとか」
カウンターに指で文字を書きながら。
「それも、ある意味、セイサンですよね」女の子が笑う。苦笑を浮かべるマスター。
「亜沙美さんもやったことあるの? ケチャップ文字?」
「二回ぐらい。付合ったばかりの男の子に、人間だものって書いたオムライスを出したら、思いっきり引かれましたよ。失敗したオムライスをフォローしたつもりだったんですけど」
「なかなかシュールだね」マスターの鼻からケムリが漏れる。
「ちなみに、これまでの人生で体験した凄まじい光景の一番と二番は何ですか?」
「二番はケンカをしたときの相方の怒りっぷり。平和な都市が空爆で壊されていくような暴れっぷりで、部屋がメチャメチャだったからね。まぁ、原因はこちらなんだけど」
「じゃぁ一番は?」
「凄まじいというか、ある意味ショッキングだったんだけど。
居眠りをしているときの、亜沙美さんの寝顔。女子という存在に初めて疑いを抱いたからね。ヨダレが口の端から滴る光景に」マスターの人差し指が口の端を示している。
「まぁ、美人も人間ですもの」女の子、そう言って軽やかに笑って。
窓の外では、紫陽花色の風が吹いて、風鈴を揺らして逃げて。
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posted by flower at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 喫茶 ベダード   | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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