2013年09月16日

太鼓

ふれ太鼓、と云うのをご存知だろうか。
何かを広く人に知らせる為の太鼓のことだが。
よく知られているのは、火事のときに鳴らされたものや大相撲の興行の始まりを伝えたものではないだろうか。
しかし、こうしたものとは逆説的な、悪い事の予兆として太鼓がひとりでに鳴りだした、と云う噺が私の田舎にはあった。
記憶では、貧しい生活を送っていた老夫婦が、山で遭遇した鬼に善行を施したところ、お礼に不思議な太鼓が贈られたのだが、それは天災や火事が近づくとひとりでに鳴りだし、村人を災難の及ばない場所へ誘い、命を守ったというものだった。そして老夫婦は、村の人たちから感謝され、幸せに暮らしたと云う内容だった。

そして、ここからは昨年遭った私の友人の話になるのだが。
「先日、嫁が子どもを連れて家を出ていった」と云う。
先日と云っても、その間に三度満月と新月が訪れ、季節は紫陽花の頃から蟲の啼き声が夜の闇に響く頃へ移った。
原因はここでは重要ではないので省くが、或る日、彼が帰宅すると半分ほどの荷物がなくなり、ただ、「さようなら」と書かれた紙だけが、ポツンと机の上に置かれていたそうだ。連絡を取ろうにも取れず、何とも遣る瀬ない日々を送っているとぼやいていた。
しかし、しばらくして、異変が訪れたのだと云う。
「嫁が置いていったものの中に、娘のおもちゃがあってね。電池式のものなんだが、触れると太鼓の音が鳴るやつが。それが、最近、ひとりで鳴るんだよ」
「何かの振動で鳴るのかな、と思って場所を移してみたのだが、やはり鳴る。それで柔らかいものの上に載せたのだが、それでも鳴る。仕方がないから、電池を外したんだけど、鳴るんだよ。と云うか、鳴っているようにオレの耳には聞こえるんだ」
「奇魅が悪いもんで、捨てようとも考えたんだが、娘のものだからと考えると、なかなか手放せなくてね」
「今もときどき鳴るんだよ。トントン、トントン、て」
友人はそう云うと寂しげな表情を浮かべて、大きなため息を吐きながら帰っていった。
ちょうどその頃私の周囲もバタバタしていて、彼の話しを忘れていたのだが、暫くしてまた、彼と遭遇した。相変わらず奥さんとは連絡が取れないのだそうだ。
「家を引越したんだ。家族用の広い家だったからね。がらんとした空間の中に独りで居ると、娘の描いた絵とか家族の写真とか、あの頃のものがありすぎて、何とも寂しさに潰されてしまいそうでね。妻と娘の帰りを待っていても、どうにも判らないし。だけど」
と、そこで彼は顔を顰めて云うのだ。
「引越した二日後、隣の家から出火して、延焼して、オレの住んでた家まで燃えてしまってね。普通ならちょうど寝ている時間だったから、もしかするとオレも火に包まれてたか、煙で燻されていたか判らないな」
消防署の調べでは、隣家の漏電が原因だったそうだ。
彼は神妙な顔で火事の話しをしてくれたのだが、ふと思い出したように
「引越しを考えていると、あの太鼓が鳴ったんだ。トントン、トントンと。何かをこちらに伝えるように」と云うのだった。
「離れていても、娘さんは君のことを想っていてくれたのかもね」
私は彼の言葉にそう返したのだが、彼は泣いてるような笑ってるような表情を浮かべていた。
その後彼はどうなったのか判らないが、幸せになっていたらと思う。
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posted by flower at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | novel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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