2010年08月08日

8月8日のメモ

「人類を二分すると、分ける人間と分けられる人間の二種類だ」と彼は云う。
首を横に振って彼女は云う「分けたがる人間とひとつにしたがる人間よ」と。
「神の計らいはときに人類に混沌をもたらす」と彼は云う。
首を横に振って彼女は云う「神の与えるものは混沌ばかりだった」と。
「人間は、人生の指針を探して生きている」と彼は云う。
首を横に振って彼女は云う「人生の指針とは、死を美化する口実に過ぎない」と。
机上では常に理屈がぐるぐると回る。

ため息を吐くと幸せが逃げると云うが
ため息をこらえている人間は、その内部には重い塊を抱えている。

「人類の足跡とは、悲しき存在の肯定だ」と黒い猫の弁。

夏の太陽は人生の虚しさを浮き彫りにする。

団地に住むS氏は「この線がいけないんだ」と云って、電話線を切り、テレビのコードを切り、電球の線を切り、一切の家電の配線を切った後、自らの血管を断った。
数年前の夏の日の夕暮れのことだった。

予め掌に描かれた運命よりも、刻み込まれた人生に物語を見つける。

地球儀を眺めていても私の居場所は見つからなかった。

「幸せまで何マイル?」と夢の中でもうひとりの自分が問いかける。

内臓が痛み、骨が軋む。
肉体の衰弱が、存在を実感させる。

「あなたの肉体に刻まれた物語を読ましてはくれまいか」

「もういいかい」と訊ねても、私の中に流れる血は許してはくれなかった。
私はいつも自分を騙すことで、人生を焦がしていった。

「書物の中に入っちまいたい」と云っていた彼女が入った物語は、皮肉にも未完の物語で、見知らぬ誰かによって青く塗られてしまった。

世界に資本主義が横溢するほどに、個人の存在は薄っぺらになっていった。

「絶対的な運命ですら、今では金の前ではチンケなものだよ」と彼は云う。
首を横に振って彼女は云う「金すらも飲込むものが運命なのだよ」と。
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2010年07月31日

夏の日のメモ

「人生に降り掛かる困難が神の与える試練なら、神は私をどこへ導こうとしているのだろうか」路地裏に踞る老婦が呟く。
月は煌々と輝くも、白々しさばかりが世界を覆っていた。

夏の夜の夢は一息にはらりと散った。月下美人が一夜に咲いて、永久に眠るように。

存在とは記憶なのか、記録なのか。

血の中には予め呪いが混じっている。

夏の色が爪の先から侵蝕していく。
太陽に灼かれるほどに魂が蒼冷めていった。

あの人の口からこぼれる言葉はあらゆるものへの呪いだった。
世界の過去を、現在を、未来を、悉く打ち砕くように。
そして、後に残ったのは、腐った林檎だけだった。

花一輪の豊かさを求める。
珈琲一杯の豊かさを求める。
レコード一枚分の豊かさを求める。
私の求めた革命とはそんなものだった。

世界は天動説でも地動説でもなく、個人の中で動いている。

俄に降り出した大粒の雨が町並みを忽ちのうちにモノクロォムに染めていった。

「あいつの言葉は夏の日のかき氷みたいだ」
「涼しげだっていいたいのかい?」
「いや、その場しのぎってことさ」

「黒人には黒い血が、白人には白い血が、黄色人には黄色い血が流れている。
だから、世界はバラバラなんだ。それが世界の真実だ」

「私は死のうとして、ナイフを胸に深々と刺し込んだのです。
ですが、流れ出る血は、見る見るうちに薔薇へと変わっていったのです。
胸には大輪の薔薇が咲き、血の飛沫が掛かった辺りにも薔薇が咲きました。
首からも、腕からも。
見れば、血に塗れたナイフは茨の蔦に覆われていました」

文明社会とは悪魔の求めるものばかりが溢れている。
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2010年02月28日

藍色の一人芝居

約束された場所もなく
私は虚しく自己の可能性を追求めた


酒を流し込んだとて
体内に溜まるのは黄昏れた日々


花がいつの間にか開いて
枯れたままのばかりが目に止まる


叔父はずっと夜の中に居続けたいと云って布団を被ったまま死んぢまった


日々が虚しさに焦げていく


寒さの所為にして引き蘢る猫のような生き方よ
戻れぬことを自覚してるか


口にするのは実体のないものばかりで
口から出るのは自己の惰性だった


憂鬱はときに瞼を襲う


人生に立ち籠める灰色の煙


冬の風が身を包み
背中ばかりが歳を重ねる


消えてしまう手段ばかりを考えて
自己の影の色を失う


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2010年02月10日

路地裏の落書き

女「わたしたちは月が満ちていくように愛し合い」
男「我々はバラが散るように愛を終わらせた」


「世界が狭いんぢゃない、世間が狭いのさ」


時間の堆積が人を孤独にさせる。
それは幸せと悲しみの比重ゆえ。


「酒は人生を豊かにするのか?」
「期待するほど応えてくれるものではないよ」


路地裏の歩き方を知っている人には猫好きが多い。
だからと云って、猫好きが必ずしも路地裏の歩き方を知っているとは限らない。


「人生に必要なのは、処方箋なのか、覚書なのか?」
「まずは、故郷を語れる言葉だろう」


私は自分の人生を笹の船に乗せてどこか遠くまでやってしまいたかった。


生き方とは死との向き合い方である。


彼の老婆は絶望の前で笑い、そして、表情を浮かべることを忘れた。


「わたしの祖国は、遥か昔に沈没した巨大な船のようだ」
僕の隣で煙草をくわえた日本人女性が呟いた。


文明が発達し過ぎたばっかりに、心の中から文化が失われてしまったと云う。


「あなたがそこに残せるものは何なのか?」
「煙草一本分の匂いと枯れた薔薇」
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2010年02月08日

深い意味をなさない幾つかの質問

深い意味をなさない幾つかの質問
(紅茶の時間にでもお戯れ下さい)

1,以下の言葉から想像するものをお答え下さい。

  回すなら真黒いジャズのレコード
  読むならハードボイルドな小説
  口にするなら葉巻
  灯りは控えめに
  肘置きの付いたカウンター
  気が向いたならコーヒーに混ぜてみるのも


2,お気に入りの小説からお気に入りの一文を抜粋して下さい。(台詞でも可)


3,20年前の午後3時 あなたは何をしていましたか。


4,春の花と春の虫と聞いてあなたの思いつくものは何ですか。


5,世界の自転と公転の原動力をそれぞれお答え下さい。


6,春を感じる食材は何ですか。


7,あなたの背中には鱗が生えています。何色ですか。


8,酔う度にのどにつかえる言葉は何ですか。


9,隠し事の隠し場所はどこに。


10,コーヒーと恋愛、あなたにとって比重の大きいものはどちら。



A氏の回答

1,ウィスキー(若しくは男の友情)

2,「わしら人間ちゅうものは、せいぜいのところ恩知らずの乞食なのかもしれんな」
 (W.H.ホジスン「石の船」より)

3,6時間目の授業。たぶん理科の時間

4,黄色い水仙と発情期の悪いムシ

5,公転→尊大な虚栄心  自転→卑屈な自尊心

6,菜の花

7,鮮やかな蒼色(ナンヨウブダイのような)

8,「愛している」と「嫌いだね」

9,お昼寝中の猫の耳の中に

10,同じ程度


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2009年03月24日

睫毛

睫毛の長い眼、と云うのは不思議な魅力を持っている。
それは繊細な甘美さ、とでも云えば解ってもらえるだろうか。アメジストや瑪瑙が飴玉のように見える、そんな感じに似ていると思うのだが。
メリーさんの眼はまさにそれで、私は彼女の眼を見ていると、白百合の潤った芯を突きたくなるような、ささやかな欲情をしてしまう。
あるよく晴れた木曜日のことだった。
私は仕事を午前中で切り上げて、缶ビールと本を一冊持って川沿いの道を歩いていた。すると、二本の河川が合流する三角州を過ぎた辺りの、いつものベンチにメリーさんが日傘を広げて双眼鏡を覗いているのが見えた。
美人、日傘、双眼鏡と云う、古い探偵映画のような奇妙なギャップが気になって私は声を掛けようと思っていたのだが、そのタイミングが判らずに少し離れたところから彼女を眺めていた。
と、こちらの視線に気になったのか、向こうから反応してくれて、はにかんだような表情を浮かべながら会釈を寄越した。
それで「こんにちは」と挨拶すると、今度は双眼鏡を覗きながら手を振って寄越した。
「何を見てるんですか?」
彼女の傍に近寄りながら思っていたことを尋ねたのだが、近付くとその奇妙なチグハグ感がかわいいものに思えてきて、まじまじと見てしまった。
「フランス映画に出てきそうですね」と云うと、クルクルと日傘を回しながら「ブリジット・バルドー?」と微笑んだ。
「双眼鏡を手に入れたんですよ」
そう言って、右の手に持っている双眼鏡をこちらに見せる。オペラグラスなどではなく、本格的なキャンプででも使いそうな重量感の漂うもので、よく使い込まれたような痕が所々にあった。
私は彼女の手から双眼鏡を受け取ると、彼女が見ていた辺りをそれで覗いてみた。
当たり前の話だが、何十メートルか先のものが大きく見えて、そのときは川で水遊びをする子どもたちの顔が大きく映った。
「子どもは、水が好きなのね」
メリーさんの話し方には少しアンニュイな雰囲気を含んでいる。
「大人になると、水も、太陽も嫌になるのにね」
「メリーさんは、水遊びしなかったんですか?」
「こんなふうに遊べる川もなかったし、海もなかったんですよ。初めて海を見たのが二十歳を過ぎてからで、そのときは浜辺で貝殻拾いばかりしてました」
私は双眼鏡の覗き穴から眼を離すと、彼女の横顔を見た。
長い睫毛と二重瞼が美しく、かわいい。
と、こちらを見て「昼間からビールですね」と、私の左手の缶に微笑んだ。
目が合う。
私は少しドキドキしながら、ビールを差し出した。
彼女は、ありがとう、と首をわずかに傾けてビールを受け取って、口にした。
「人間て、贅沢と背徳の喜びを覚えるとダメになるのよね。でもね」
私の眼が彼女の唇を捉える。
「前から思ってたんだけど、人生を楽しむには高尚なダメさ、と云うのが必要だと思うのよね。羊飼いって、時間をつぶす能力がないとダメだと思うの。それは人生も同じだと思うのよね」
彼女の小さく赤い唇も、とても魅惑的に思えた。
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2009年03月17日

友人の祖父から聞いた話である。
遊びに行った友人の実家で、表現とは何か、と云う話になってその中で語られたのだが。
「私がまだ、役者を目指してイギリスに留学していた頃のことだ。当時、住んでいたアパートの隣室にニコルと云うアイルランド人が住んでいた」
「彼も田舎の出身と云うのもあったが、同じように芝居を学ぶ者として、私とは親友と呼べる関係になった」
「そんな彼が、どこからか大きな絵を拾ってきたのである。私には不奇魅なものに思えたのだが、ニコルは芝居の小道具に使えるだろう、と別段気にするでもなく、寧ろその不奇魅さを良いのだと主張したのだ」
「絵は、洋館を描いていたものなのだが、薄曇りのような、夜の空のような色の中に尖った赤い屋根と鼠色の混じった白い壁があり、窓には女性の影が映っていた。そして、その前面の庭には、真黒な毛の長い犬が一頭描かれていて、犬は何かを口にくわえ、こちらを振り返るような恰好をしていた」
「私はその後、所属していた劇団の公演でしばらく留守にしたのだが、帰ってくると、ニコルは虚ろな顔をしていたのである。
私は心配になり、ニコルに何があったのだ、と聞いたのだが、彼が言うには、絵を拾ってきた夜から、夢の中に犬が出て来るのだと云う。最初は、絵を見た記憶が夢の中に投影されたのかと思い、気にしていなかったのだが、犬はついて来いとでもいっているのか、たびたび振り返り、彼が道を逸れそうになると吠えて促したのだそうだ。
そして、その真黒な犬の後を辿って行くと、あの洋館に着いたのだと云う」
そこまで話すとお祖父さんは一息ついて、彼はその夢についてこう語ったのだと云った。
「洋館の扉を開けると、犬はオレの先を切って歩き、闇に満ちた廊下を進んだのだ。館内の空気は埃を含んでいるのか、重く冷たかった。
真黒な犬は闇に溶込んでいるはずなのに、何故かオレにはその犬の居る場所が判った。
犬は迷うことなく廊下を歩き、真っ暗な空間の中で止まった。すると、ゆっくりとドアが開くような音がして、光が漏れてきたのだ。女の声とともに。
ようこそ、と。
見れば女が一人―灰色の目をした、長い髪の妖艶な女だった―が、居たのだ
女は云う。わたしは、この館の主です、と。
女はまだ、若いようでありながら、その両の肩に気品と落着きとを漂わせていた。
オレは、怖くもあったが、何故かその女に強く惹かれた。
それで、オレは浅はかながら手を伸ばしたのだ。
だが、女は逃げるように何フィートか先に移っている。二度繰り返したが、二度ともそうだった。
そして、女は云う。わたくしを掴みたいのであれば、この世界の向こう側を見なさい、と。わたくしの存在は、この闇の向こう側に留められています、と」
「そこまで話すと、ニコルは目の前で洋館の描かれた画布を丁寧に木枠から剥がしだしたのだ。私は彼の行為を、何か狂った者を憐れむように見ていた。が、その下からもう一枚の絵が出てきたのだ。それはシーツに包まった裸婦を描いたもので、とても美しい顔立ちの女性だった。何よりもそのシルエットが魅惑的なものであった。
ニコルは、この女だ、と云って暫くの間見入っていた。
「それがきっかけだったのか、彼は程なくして役者を辞めて、画家となった。世界に存在を留める術を見つけたと云って。変わった自画像ばかりを描く画家にな」
そう云って、そのお祖父さんは一枚の絵を見せてくれた。
真黒な中に男が一人描かれていて、勝負に負けた賭博師のような風采でありながら、目だけがギラギラしているのである。
「表現とは自己の存在を外へ主張するものであるが、他方自己を閉じ込める作業でもある。意志を箱に詰めるよう。そして、それは時に呪いのように開いた人間の人生を飲み込んでしまうものでもある」
そう言うと、お祖父さんもキャンバスに向い、筆を取ったのだった。
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2009年03月16日

ロクロー君とメリーさん

一人暮らしを始めると、思いのほか独り言が増えた。
もともと独り言はする方だったので、正確には、独り言へのツッコミをするようになったのだが。このクセは、自覚すると虚しいもので、会話の自己完結の終着なのだろうが、心に留めたくない願望の現れのような気がするのだ。潜在的には、独りで居ることを受け入れたくないと云う。
それで気晴らしに外へと出ることにした。
家から5分もしないうちに、川が見えてくる。
季節の花々や鳥を眺めながら川沿いの道をぶらぶらと下って行くのだが、ジョギングをする初老の方や読書をする学生風の若者、手押し車で散歩をするご婦人などが居て、半月も同じようなコースを歩いていたら顔馴染みが二人ほどできた。
ひとりは、いつもビールを片手にしたカメラ青年でロクロー君と云い、もうひとりは古本屋で働いている方で、メリーさんと云う睫毛の長い女性だった。
ロクロー君は、「川を眺めて佇んでいるシルエットが良かったので撮らせてもらいました」と云う会話がきっかけで、メリーさんは、私がたまに行く古本屋のバイトで、あぁどうも、と云う感じで何となく会話になった。
碌ロー君は今時デジタルではなく、フィルム派で、現像も自分でしているのだと云う。出会ってすぐくらいに「どうしてフィルムなんだい?」と私は訊ねたのだが、彼は「写真て云うのは、空間と時間の切取りで、切取り方に個性を出すならやっぱり自分でやるにこしたことはないぢゃないですか」と、ビールで心地良さげな表情を浮かべながらパチパチと野良猫なんかを撮っていた。
彼を見ていたら、気まぐれに私も街の風景を撮っていた頃を思い出して、カメラを引張りだしてやってみることにした。やはりレンズ越しに見る風景と云うのは、普段目にしているものでも光が射込んだだけで物語の予感をさせる。
朝の露が残った花々、昼の陽に照らされた川面、ピンクの雲が浮かぶ夕暮れ時、そうしたひとつひとつの時間を実感しながら、何か面白い世界に行けるのではないかと思えてくるのである。
眼前に存在しながら、どこか非日常な時間―私はそんな気分を大事にしようと思い、撮ったものを現像しないことにした。死んだときに誰かが現像したら面白いだろう、とかそんなイタズラなことを思って。
どうでも良い話だが、私の使っているカメラはミノルタである。
カメラを始めた頃に中古屋でかったのだが、私の見たままのものを撮れているような気がして選んだのだが。ニコンでは何かが違う気がするのだ。
露出とシャッタースピード、それと被写界深度。
ただ、それだけのことなのだが、眼前の風景はその組み合わせが変わるだけで別な表情を見せる。でも、できたものを見るよりも、撮る行為の方が創造力と相まって楽しい時間である。
ちなみに、よく撮る被写体の定番は猫、花、空、子ども、落書き。あと、女性の後ろ姿である。誰かが言っていたことだが「女性の後ろ姿には無防備なエロスがある」と私も思う。蘭や百合の芯に感じるエロスのように。
そんなふうにして、私の散歩にはカメラが連れて歩かれることになった。
メリーさんだが、彼女はたまに行く古本屋のレジで見かける方で、面長の顔立ちとか長い睫毛とか黒い髪とかが印象的で覚えていたのだが、たまたま腰掛けていたベンチの隣に彼女が腰掛けてきて、何となく挨拶になって、言葉を交わすようになったのだ。
妖艶とは云わないまでも、どこかフランス映画のヒロインのようなアンニュイな雰囲気が色っぽいと思った。
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2009年03月11日

夜の国

彼女の語った言葉を思い出せるうちに留めておこうと思う。
「私の生まれた国は、夜の国でした」
「太陽に照らされる時間が短く、月が輝く時間が長いのです」
「新月の暗闇から三日月の夜になり、そして円く満ち。満月の後、また細くなって」
「私は月の光を浴びて育ったのです」
「私たちの街では、生活は夜を中心に組まれていました。もちろん夜には眠るのですが、明るい時間と云うのは、夜を迎える序曲でしかないのです」
「食卓には、パンに似た“ハルン”と云うものと、ミカヅキキノコやホワイトラディッシュの入ったスープ、オリオンフィッシュのオーブン焼き、山菜のソテーなどがよく上がってました。ミルクは山羊のものです」
「祭の日には、皆でミドリヒツジの仮面を被り、赤く染められた広場で踊ります。私の国においては、赤色の持つ意味はとても重要なものです。私たちの肌=白、私たちの内部=赤、であることを意味するのです」
「私たちの国の鉱物はとても珍しいと、よく他所の人たちが買付けに来てました。彼らは“海月石”と呼んでいました。夜になると海中で光る海月のように見えるからだそうです。確かに、暗い所におくと光るのです。それは夜の長いこの国にしかいない夜光虫たちの成分が、石の内部に堆積していると云われています」
「私はこの海月石が好きでした。新月の夜に、頭上に煌めく星々、そして大地にも煌めく星々。そんな中にいると、どこまでも果てのない空間の中を歩いているような気がしてくるのです」
「暖かくなると、蝶が野原を舞うのですが、それも綺麗でした。月の光を浴びて、蝶の羽が浮かぶのですが、そこからこぼれ落ちる鱗粉が銀の砂のように美しく光るのです」
「私たちの衣服はミドリヒツジの毛皮で作られたものが主でした。日照時間が短いので肌寒い日が続くのですが、翡翠のように緑色をしたセーターやマフラーを皆、身につけていました。緑青綿で編まれたものも多かったように思います」
「女性も男性も肌は、陶製の人形よりも白く、透き通るようです」
「コーヒーは飲みません。代わりに“コノ”と呼ばれる木の実を天日で干し、コーヒーのようにして飲みます。心地よい苦みが口中に広がった後、ミントに似た、爽やかな後味が残ります」
「音楽は夜の星空をモチーフにしたものが多かったです。指先に海月石の付いた環を嵌め、海月石の鍵盤を叩くのです。海月石同士がぶつかると綺麗な音が響くのです。それらを輝く星々を結んで行くように鳴らしていくのです。星を見つめる感性によりその音には個性が表れます」
「産まれてから17年経つと大人として見なされます。ホワイトラピスと螢華と―どちらも植物ですが―で編まれたローブと環月草のクラウンを授けられます」
「すべての時間が、緩やかに流れていたような気がします。寝ることも重要な行為だと考えられていましたから。眠ることが世界を形成する力になっていると」
「夢は、この世界の礎であり、常に誰かが夢を見ているから、世界は保たれていると教えられるのです」
私の記憶に残る彼女の言葉はそれがすべてである。
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2009年03月10日

あらかじめ、人生とは皮肉なものなのだ

一週間のうちの大半を家で過ごすことになった。
とりあえず金は使わぬよう、自炊を、と云うよりも他人が買いたがるような良いものを作ることにした。何でかって? 簡単なことだ。空腹とは、精神を満たすことが重要なのであり、誰も満足できぬものをたらふく食ったとして虚しさしか残らないのである。
だから、私は他人が口にしたときに羨ましがるものを作ることにしたのである。別にそれは難しいものではない。ただ、コツと暇とがあればできる代物なのだ。
例えば、コーヒー豆。ゆっくりと、じっくりと、生豆をローストすれば良いだけのことである。パンもそうだ。水とイーストと塩とバターで、小麦粉を練れば良いのである。あとは発酵させて焼くだけだ。
歴史の中で人々は、眼前の風景を楽しむ工夫をしてきたのである。だから、私もそれをしようと思ったのだ。
できるだけうまいメシを喰い、寝たいときに寝る。暇があれば本を読み、空を眺め、花を愛でる。気が向けば、何か表現しても良い。歌でも絵でも詩でも。
貧しいのではなく、シンプルを目指せば良いのだ。
そんな生活を始めてから、気づいたことがある。
昼間に飲む酒は、意外と難しいということだ。
まず、ビールだが。日本のそれは、夏の夜に飲むようにできたものばかりなのである。冷えていないと飲めないし、後味に嫌な苦みがあるのだ。喉の奥底に絡むような嫌な尾を引くのである。ワインも軽いものなら良いのだが、昼からタンニンを楽しむことは難しかった。日本酒は甘味がときに鬱陶しい。
それで私は、金に余裕があればベルギーのビールに、なければコーヒーにすることにした。自分で焙煎したものを、である。
焼きたてのパンと自家焙煎のコーヒー、このふたつがあれば、大方精神は満足する。
あとは、ジャズやフォルクローレでもあれば大丈夫である。
次いで、気づいたことは明るいうちに入る風呂の醍醐味である。
近所に昼から始まる銭湯があるのだが、明るい日射しの中で湯船に浸かるというのは何とも贅沢なものだということを実感した。
そして他に気づいたことと言えば、意外と道端に金は落ちているのに皆拾わない、ということだ。
私の一族は、わりと金を拾う一族である。しかも、収入のないときほど。もちろん拾っても、警察に届けることはないが。
「金は回りものだ。ときには自分が失うこともある。だが、逆に拾うこともある。金はそういうものなのだ」
たびたび金運に恵まれる従兄弟の言葉である。彼はトイレを借りに入ったパチンコ屋で財布を拾い、古本屋の棚に並んでいた辞書から誰かのヘソクリを見つけ、競馬場で上等なピアスや指輪を拾っては換金をして、部屋の諸々をそろえてきたのだが。
「ポイントは、拾うイメージ」なのだと云う。
「拾う対象物が、一瞬にして認識できないと拾い損ねるんだよ。例えば、小銭。路上に円いものが落ちていても、その形が何であるかに気づいてなければ上を跨いで行ってしまうものだし。紙切れがどこかに挟まっている場合も、指がそれを感知していればそこを見ることになって、発見できるんだよ。要は、眼前のものから違和感を捉えられるかなんだ」
違和感を捉える目。おそらく、それは生存競争を自覚した者か、世界を斜めに見る人間にのみ与えられた技能なのだろう。そして、それを持てば世界にまた違った楽しみ方を見つけることができるのだ。
「あらかじめ、人生とは皮肉なものなのだ」とは誰の言葉だったか。
まれに思い出し、そして実感するのである。
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2009年03月03日

人生とは閉じられた書物である

昼間の病院の雰囲気が嫌いで久しく行かなかったのだが、何度目かの就職活動にあたり健康診断を受けることになった。そのときも面倒だなと思ったのだが、それから二週間ほどして送られてきた、達筆な読みづらい字で書かれた“肺に影あり 要再検査”の文字にも面倒だなと思った。
振り返れば、この面倒だなという感情のせいでいろいろなものをスルーしてきたような気がするが、今回のそれは最も重たく沈鬱な塊だった。
それからひと月後の再検査である。
キノコのような髪型の青年医師曰く、「早急に切らないとダメですね」とのことだった。
手術費用、入院費用、その他―計算機など使わなくても保険などに加入していない私の手持ちの戦力では、とうてい敵わない金額だということはすぐにわかった。3回戦ボーイが世界ランク5位と戦うようなものである。
煙草を吸うこともなく生きてきたというのに。
不思議なものだが、やはり一族にまつわる貧乏くじな運命なのだろう。
私の知る一族の話の一部である。
戦争に行って無事に帰ってきた叔父は、キレイな女性と山で逢引中に蛇に噛まれて死に、ワーカーホリックな曾祖父は酔っぱらった帰り道に田圃の畦道から転げ落ちて真冬の用水路に落ちて肺炎となり―。また、従兄弟は野良猫に餌をやっている女性と、近所の神経質なオッサンの口論を止めた際に刺されて大ケガを負い―、他にも小咄集ができそうなほどあるのだが、何ともやるせないものばかりである。
そして今回も、きっと一族に憑いた死神がひょいとダーツを投げて刺さった所が、たまたま私だったということなのだろう。
「人生は全てを受け容れることから始まる」
大好きな競輪の観戦中に興奮し過ぎて頭の血管をやってしまった祖父の言葉である。
一族の血を色濃く受け継いだ私の母もしばしば「なっちまったものはしょうがない」という言葉を口にしていたが、おそらくそれ以外にないのであろう。
私はその胸の影と同居生活をすることを受け容れることにした。
とりあえず、私は十年ほど連れ添った相方の家から出ていくことにした。「人生とは閉じられた書物である」そう書き残して。とくにその言葉には意味はなかったが、迷惑をかけたくないという想いと、残りの人生を楽しんでみたいと思ったのである。
トランクに持てるだけのものを詰めて家を出ると、たまたま目についた生活相談の看板を出す、赤い旗を掲げた事務所に入った。「不況のために職を失い、家を失いました」という新聞に載ってそうな話をすると路地裏にひっそりと佇む不動産屋を紹介された。敷金も礼金もかからない家があるのだという。「まぁ、陽はあまり当たらないんですけどね。寝るには最適ですよ」と髭も真白なマギー司郎のような事務方兼社長が、下鴨の6畳一間の物件を案内してくれた。
私はそこを終の住処にすることにした。
家を決めた私は、次に仕事を選んだ。今の事務の仕事を辞めて、家で細々とできるものを、そう思ったのだ。
税金は払わない、NHKの受信料ももちろん払わない。家賃と水光熱費、電話代、そして、メシを喰う金。それさえあればどうにかなるだろう。
それを掲げて仕事を探すことにした。幸いにして、かつて書籍の編集や校閲などをしたことがあったので、それの関連したものに就くことができた。資料をまとめて簡単な文章を書いたり、書かれたものの事実を確認したりである。少なくとも以前の仕事よりは面白いもののように思われた。
「人生は永く、短い」
この名句を傍らに、私は残りの人生を全うすることにしたのである。
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2009年01月19日

電話帳

酒の勢い、ではないが、飲み屋では知らない人と仲良くなることは少なくない。
それは同性であったり、ときには異性であったりする。
そして、私の場合、その出逢いの記録が携帯電話の電話帳に残ったりするのだ。

或る日のことである。
先方の急用で約束が流れてしまって、次の待ち合せまで時間が空いてしまったことがあった。いつもならそんな場合の時間潰し用に、文庫本などを携行しているのだが、そのときは生憎何も持ち合わせてなくて、入った喫茶店にもめぼしい雑誌や新聞が見当たらず。とりあえず数日前に換えたばかりの携帯電話を弄んでいた。
電話帳を開いて、昔の友人や知人、仕事の関係で知り合った人、など名前を眺めて顔を思い出したり、もう連絡を取ることはない付き合いを消去していたのだが。
ふと、この人は誰だったかな、と思う名前に行き当たったのだ。
通常なら電話帳に残す際に、どんな繋がりであるか、どんなカテゴリーになるのかをメモ程度に残しておくのだが、その名前には何も情報が添付されていなかった。
ただ女性らしき名前で***とあるばかりである。
私は一瞬消そうとしたのだが、もしかしたら3ヶ月前ぐらい前にたまに行く飲み屋で出逢ったあの女性か、それならまた遭うかもしれないな、などと思い、とりあえず残しておくことにした。記憶では結構な美人だったな、といらないことまで思ったりして。
そんなことがあってから暫くして、そこではないが顔なじみの店で、その名前と思しき女性と再会したのだ。
しかし、である。「やぁ、久しぶり」などと飲み屋でありがちな適当な挨拶を交わして、名前を確認してみると、どうも全然違うようなのだ。
それで誰だろう、とまた考えることになった。
消してしまえばそれまでだったのだろうが、何とももどかしい感じがして結局消せずにいた。それで、とりあえず電話をしてみることにしたのである。
***の名前を出して、通話のボタンを押す。と、呼出し音が聞こえてきた。
電子音が4、5、6回と鳴る、が出ない。留守番電話に替わることもない。
それで暫く待ってみたのだが、10数回目のコールで繋がったかと思うとザーと云う音がして切れたのだ。
と、その夜の遅くである。
携帯電話が鳴って***の文字が表示されたのだ
私は何と話せば良いか考えがまとまらないままに出たのだが。
「・・・ぅく、はやく、こっちへきて、ょ。ね、ぇ」
と云う気味の悪い声がしたのだ。
そして、その言葉の背後からザーと云うノイズのようなものも漏れて来たのである。
私はその声に恐怖を覚え電話を切ったのだ。
が、引き続き着信の名前が表示されるのである。
そしてそれは、電源を消しても浮かび上がったのだ。
私は怖くなりそれを放り出して、部屋を飛び出さざるを得なかった。

後日である。
何とはなしに財布に溜まった飲み屋のショップカードを整理しているとKと云う店の名前が出てきたのである。と、そこでようやく思い出したのだ。
そこは、数年前にはしご酒の何件目かに友人に連れていかれたバーで、そこに来ていた常連らしき女の子の名前が***であったなと。うっすらと、勢いで口説いてホテルまで行った記憶はあったが。電話の番号など交換したことまでは思い出せなかった。

それでとりあえずKまで足を運んでみることにしたのだが。
怪訝そうな表情を浮かべたマスターの言葉では、「もう、会うことは難しいんぢゃないかな」とのことだった。「ちょっと前に大きな事故に遭ってね。意識が戻らない」のだと云う。それはニュースでも報道されていたスピードを出し過ぎた乗用車がカーブを曲がりきれずにガードレールに突っ込んだという事故で、私もぼんやりと覚えていた事故ではあった。
だが、その日と云うのが、私が電話をかけたあの日よりもひと月近くも前の話なのだ。
そして、またマスターから不思議な話を聞かされたのである。
「お客さんもですか? 最近他のお客さんもね、彼女からの電話を受け取った、と云う人が居てね。気味の悪い声が聞こえてきたって。***ちゃん、男性にかまってもらうのが好きだったからね。もしかしたら今でも相手してもらいたがってるのかもね」と。
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2009年01月17日

10年前の話である。
私の友人にYと云う、とても勇ましい人が居て、いつも「世の中に怪異なものなどないよ」と口癖のように言うのだが。
それを酒の席なんかでもクドクド言うもので、またいらないことを言う別な友人Oが「ぢゃぁ、それを実証してみてくれよ」なんて言い出して、「ああ、良いよ」と云うことになったのだ。
で、勇ましいYは「肝試しなんてのは、それっきりで終わっちまうものだからダメだ。どうせだから、その“曰くつきの物件”に住んでみせるよ。出る、とか、変な現象が起こる、なんてのは科学を知らない人間が言うことさ」と見栄を張ったのだが、それが運の尽きだった。
話が前後したが、こんな話になった背景には、Yを焚き付けたOの知人と云うのが、安さに惹かれて変な物件に住んでしまった、と云うのがあった。
何でも夜、と云うか未明の頃に体が金縛りにあったかと思うと「誰かがジッと覗いてるような気配がして、その後に決まって喉が締め付けられるような圧迫感がして、呼吸ができなくなった」のだと云う。
初めのうちはその彼も、仕事のストレスかな、とか、近所から変な噂話を聞いたのが潜在的に意識にあって、とか自分の都合の良いように解釈して、やり過ごそうとしていたのだと云う。
だが、2週間もそんなことが続くもので、さすがに嫌になり越すことになったのだと云う。「まぁ、今では新しい彼女の所為で毎晩眠れない」そうだが。
で、Yである。もともと彼は大学でアメラグをやりながら物理を専攻していた男で、それなりに優秀な成績を残しており、院生のときには独楽の回転についての研究で学長賞を獲ったとか云う傑物だった。
そんな経歴の持ち主だったので、科学が万能であると信じて疑わなかったのだ。
約束が交わされて2週間後、Yは早速件の物件へ引越すことになった。
それは松ヶ崎の××神社の裏手にあったのだが、鬱蒼とした樫の木々によって日射しが遮られ、10月の初めだと云うのにかなりひんやりとする一戸建てであった。
「間取りは悪くない。2LDKの2階建てでね、独りでは持て余すよ」Oの説明ではそんなだったが、実際に目にすれば、日射しが悪い、と云う以外は大して問題のないもののように思われた。
「知人が云うにはさ、覗かれてる、って思う方には窓はないんだそうだ。古い壁と真黒い柱があるばかりで、人が入る隙間などないって」
ひとまず、Yの荷物を運び込む際、寝室に利用されていたと云う部屋へ入ってみた。確かにそちら側には窓はなかった。そして気になったのはOの言っていた壁だった。壁紙の貼られたそれは別に特徴のないものだったが、霊感のないと自覚する私でさえ、薄ら寒いものを感じたのだ。奇妙な、背骨に喰い込んでくるようなものを。
そんなこともあって、私は一応Yに忠告したのだが、彼は寧ろ「まぁ、見とけよ。怪異などないと証明してみせるから」と、気概に満ちた勇ましい顔をみせたのだった。
それからひと月後のことである。
Yが入院することになったのは。
病院に運び込まれた時のYの表情は、凄まじいほどに蒼白だったのだと云う。
ガクガクと体を強張らせながら、「寒い、寒い」と言い、しきりにぜぇぜぇと咽せていたのだと、Oは話していた。
何でも、Oは2、3日連絡が取れなくなって気になったので、件の家まで様子を伺いに行くとYが倒れていたのだと云う。
「家に足を踏み入れた瞬間に、ヤバいって思ったね。異様な寒気が足下から徐々に体を這い昇ってくる感じでね」
それでも勇気を出してYの寝室まで行ったのだと云う。
「音は何もしないんだよ。外では子どもが遊んでいて、はしゃぐ声がしてたはずなのに」
「一足前へ出す度に緊張感で胸が苦しくなったね」
「で、いよいよヤツの部屋の前まで来たんだ。寒気は既に俺の背骨を掴んで心臓にまで達していた」
室内からは人間が生きているような気配はしてなかったそうだ。「それで」
それでドアノブを掴むと一息に開けたのだと云う。
「まず、床に倒れたYが目に入ったんだ、うつ伏せに倒れた。そして次に。
真っ正面には奥の壁が見えるんだけど、その壁の壁紙が剥がされていて。
真黒い掌の、無数の痕が見えたのさ。誰かが必死で壁を叩いたような。
一瞬で寒さの根源がわかったよ。そして、次の瞬間俺はその壁の手前に倒れているYを引き摺るようにしてその部屋から出たのさ」
「ただ、ヤツの体を引き摺り出そうとすると、何かが向こうで引張るようでね。オイテケーオイテケーってね」
「それでどうにかこうにか病院まで運んだんだが。
そのときに病院で云われたんだ、体中に無数の素手でキツく掴まれた痕があったって。とりわけ足首に強く握ったような痕が、って」

後日談である。
何かの用があって、件の家の近くまで行ったもので、つい気になって眺めに寄ってみたのだが、貸し家と書かれた看板が付けてあった。
また、誰かが住むのだろうか、と思いながら、私はその看板の前まで近付いてみたのだが、そこには無数の掌の痕がうっすらと付いていたのである。
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2007年10月02日

少年期1

 根性がヒネテいるのは今に始まったことぢゃないんだ。
 子どもの頃からだったのさ。三つ子の魂ぢゃないが。
 オヤジにはよく云われたものだ、「オマエはヘソが捩れて生まれてきたんだ」って。
 ガキンチョのヘソ曲がりってもんぢゃないんだ。ただ、ソイツの手から何かを奪ってしまいたくなるのさ。
 オレが初めて何かを奪ったのは飲み屋だった。まだ小学校の三年生ぐらいのときで、明るいうちは汗にまみれて夜になるとアルコールにまみれるオヤジに連れていかれたんだ。いつもなら家でオフクロが近所の品のないコーラス隊と、安っぽい通販広告に出るような有名人から隣の酒屋のケチンボなオッサンまでのゴシップを熱心に語り合ってる脇でお菓子を齧りながら連想ゲームとかドリフなんかを見てるものだが、その日はオフクロがどっかに行っちまって、オヤジがオレと弟の面倒を見なけりゃならなかったんだ。
 日も陰った頃にオヤジは帰ってくるとシャワーを浴びるなり、このシミッタレた家で一滴でも酒は呑みたくなかったと見えて早々に飲み屋へオレたちを連れていったんだ。
 初めて連れていかれた飲み屋は、子どものオレには退屈な場所だった。
 食べ物に甘いものはほとんどないし、肉も魚も大して旨くなかったからね。まぁ、ジュースだけは家で飲ませてもらえないものだったから、それだけは嬉しかったけど。だから、ロクにメシは喰わないでジュースばっか飲んでいたね。お陰で帰る頃にはお腹は水を詰め込んだ風船みたいにタップタップだった。
 だけど愉しかったのはそれだけで、オレは退屈がって、早く帰りたいよ、とオヤジに云った。オヤジは大好きな煙草をおしゃぶりみたいにくわえて「二件目に行くぞ。今日は週末だ。遊ばずに家で大人しく寝てられるか」とオレの右手を握って、眠気に倒れた弟を背負って二件目に入って行ったんだ。
 立ち呑みのパブみたいなところで、椅子はあってもキリンみたいに脚の細いヤツだった。そこで皆ブラウン管に映ったサッカーのビデオを観ながら、酒をカッ喰らっていた。オヤジもアホみたいにエキサイトして、弟を店の隅っこの方に転がすと早速名前も知らないアベックらと騒ぎだした。
 愉しくもないオレはそこであぶれちまった。
 だから、仕方なく弟の隣に座ってオレンジのソーダ割を飲んでいたんだ。帰ればオフクロはもう帰ってきてるもんだと思って出ていこうとか考えたりして。
 すると、そこでオレは床に落ちた黒いものを見つけたんだ。よく見ると長財布だった。誰かの尻っペタのポケットに入ってたものと見えて、形は潰れてトーストに塗られたバターみたいに汗がよく染込んでいた。
 それを拾うのは簡単だった。テレビの方に風が吹いてるみたいに、皆そっちにばっかり首を向けてるもんだから、ちょっと息を潜めて低い姿勢で手を伸ばせば良いんだけだった。それを拾ったオレは服の下に隠すと「飲み過ぎて、ちょっと気分が悪いんだ」ってトイレに入った。あんまり急ぐと怪しまれるからな。だから眠そうな目と参ったなって眉で顔を作ってね。帰ってきたオヤジが家でいっつも見せる顔さ。
 個室に籠って財布を開けると、子どものオレには滅多に見ることの叶わない〇が四個も付いた札が二枚といつも見慣れたおヒゲのお札が七枚、そこにあったんだ。
 オレは思ったね、これは全部貰っちまおうって。
 でも、もうひとりのオレが云ってきたんだ、「半分にしとけ」って。
 束の間その間で悩んみながら弄っていたら指輪を発見したんだ。シンプルだが上等そうなやつだった。何の為にこんなところに入れてるのか判らないが、オレにはイケナイものを隠してるように思えたんだ。
 小さなオレはそこで悩んだね。どうしたもんかって。で、出した結論が「指輪だけ戴くぜ」ってことさ。
 財布から指輪を抜き取ると、財布を腹ん中に入れ弟の側に寄ってすぐに完全に夢の世界の王子になった弟を起こすようなフリをして揺すったりした。そしてその隙に膝の抜けたジーパンのポケットにそれを滑り込ませたのだ。これでもし落とし主が気付いて万が一オレが疑われても、オレのポケットは競馬に負けた博打打ちと同じくらいスッカラカンで、キャンと云うのはそっちってわけさ。
 財布はちゃぁんと床の上に戻しておいたさ。さっきよりは幾らか軽くなってたけどな。
 そうしたら案の定、時計の針が日付を変えようって時間にオレはチョコレートを齧る素敵な夢から仄明るい世界に強い力で戻されると、「オマエ知らないか?」ってオヤジに云われたんだ。
そこでオレは眠気がぎっしり詰まって重たい瞼を半分ほど持ち上げて「何が?」って映画の中でよく起き抜けの女の子がやるように眼を擦りながら訊き返したのさ。そうしたらオヤジは「指輪だよ、この人の」って、見た目がミックジャガーみたいな服の趣味のニイチャンを指しながら恐い顔するんだ。終いにはオヤジもそいつも獅子舞みたいな顔でこっちを見るもんでね。
 もちろんオレは「知ってるぜ」なんて答えずに「とっとと帰って良い夢見ようぜ」って云ってやったさ。これで充分だったね。
 結局あとはアベック同士で「女房にバレちまうだろう」ってやり合って、うちらはめでたく自宅へ凱旋だった。
 ただ、帰るときにオヤジから「ほどほどにしろよ」って云われたときはさすがに焦ったけどな。
 それからオレは腕を磨く努力をしたぜ。夜の飲屋街で、昼の雑踏で。
 だけどオレはポケットに手を突っ込んで獲るようなことはなかったね。それはオレの中のルールでもあった。
 何でかって? だってそれぢゃ現場を押さえられたら終わりだろう? 「何してるんだ、オマエ」「ロクデナシ、警察に連れていけ」そんな云われたくないだろう?
 だからオレは酔っぱらいやボンクラがポケットからそいつを落っことすのを待つことにしたんだ。ただ、ちょっと手伝いして落としやすくはしたけどね。まぁでも、これなら神様がご機嫌斜めで運悪く見つかったとしても「拾ったんです」で逃げられるから。
 ちなみにオレの記憶では失敗した記憶は二回だけだ。一度は獲ろうとした瞬間を偽善的な市民に見つかっちまって、て云うそれと、暗くて見えなかったのだが財布の中に何故か針が入っててそれが刺さって焦ったところを見つかっちまった、て云うそれだけさ。それ以来オレは場所と人の位置、中身に気を使うことにした。まぁ当然だけど。一番良いのは背の高い椅子だった。それだと皆カウンターに前のめりになるからね。で、シリのポケットの財布が突き出すんだ。バニーガールの尻尾みたいに、「いかがですか」って。
 あと、他にもオレは自分にいくつかのルールを課せた。同じ店では続けてはやらない、持ち主とその周囲の客の顔はできるだけ覚えておく、タイミングが悪ければ諦める、獲ったらいつまでも財布を持っておかない、カネのあるヤツしか相手にしない、獲る順位は1・そのひとの隠しているもの、2・現金、まぁ、そんな感じさ。
 それは自分を守る為であり、ルールは次の仕事をしやすくする為でもあった。お陰でこの街の飲み屋と遊び場には詳しくなったぜ。14歳になった頃には、それなりに苦労もしたもんだからオヤジが居なくてもひとりでスカした顔であっちこっち出入りするようになったね。
 それで15歳になったときだ。
 オレは結構な場数を踏んで度胸をつけていた。と云うか、寧ろハッパでもキメたときのような陶酔感に浸っていたと言えなくもない。気が大きくなっていたのだ。
そんな冬のある日だ。
 オレの学校にマドンナがやってきたんだ。
 背が高くて、その歳には落着いた感じのするオンナだった。漆を塗ったような黒い髪も、トマトみたいなムネも、洋梨みたいなシリも、サクランボみたいな唇も魅力的だったが、フランス映画から出てきたような整った顔なのにアンネ・フランクみたいな憂いを帯びた眼が、オレにはとても魅力的だった。
 「母の仕事の関係でT市から転校してきました」
 そう云ってぎこちなく振る舞う彼女が、オレの隣の席に座ることになったもんで、お陰でオレはその日は一日中興奮しっぱなしだった。
 彼女は本当に可愛いオンナだった。それはこんな地方都市にはとても不釣り合いなほどで、話す言葉にも振る舞いにも気品が漂っているだ。
 朝の挨拶なら「おはようございます」と微笑み、帰るときは「ごきげんよう」と優しく首を傾げるその仕草は天使のようだった。
 別にすごく親しかったってわけぢゃないけど、オレは気になってしょうがなかったね。だから、何ある度に話しかけたり、わざと手が触れるようなそんなこともしたさ。今思い返すと耳たぶが灼けちまうほど恥ずかしいけどね。あの歳頃の衝動ってのはどうしようもなかったんだ。わかるだろう? 毎日彼女の顔を見ては、ブラウン管の向こうのアイドルにでも会ったような気分になったし、学校が休みの週末は剣山を落っことしたみたいに胸が痛かったよ。しかし、それは付き合いたいと云う想いでもなかった。近くによって腕の中に収めてしまいたいけど、それは触れることすらイケナイもののような、オレの中の俗っぽいものを隠してしまいたくなるような純潔なものであった。
 それがオレが街に出たときさ。雨に濡れた犬みたいな悲し気な眼をした彼女を見かけたもんで、驚いたよ。
 三番街から四番街に抜ける細い通りの靴屋の隣に婦人服の店があるんだけど、そこのショウウィンドウで彼女が蝋人形みたいに固まって、見てるんだ。柘榴が割れたような真っ赤なコートだった。うっとりした目ではなくて、どちらかと云うと寂しそうに。
 オレは気になってね。あの子が居なくなってからそのコートの値段を観に行ったんだ。
 行く前から判っていたことだが、オレの財産の何倍もの値段だった。
 オレにはどうしようもなかった。いつもみたいなコスイ稼ぎでも、一度には無理な金額だったからだ。いっそのことそいつをパクっちまおうか、とも思ったが、そんなことで彼女が喜ぶのかオレにはわからなかった。
 彼女は育ちの良さからか、意外と女子には不人気だった。女子には爪先から髪の毛までを“共感”できることがオトモダチの条件らしかった。だから、オレが知る限りでは彼女はひとりで居ることが多かった。
 次の日オレは学校が終わると、ひとりで帰る彼女に声をかけたんだ。
 「昨日、見ちまったんだけど」どうしたんだいって。周りに人が居ないことを確認して。
 そしたら彼女は一瞬頬を紅く染めて、あれね、と遠くを見つめて、溜め息を吐いたんだ。
 「去年の誕生日にお父さんが買ってくれるって約束してたコートに似てたの。すごくあの紅い色が気に入って。でも、結局ダメになっちゃって」
 そう云うとみるみる眼から涙が溢れてきた。初めて見る彼女の泣き顔だった。オレはその涙に、突然犬に吠えられたときみたいに動揺したけど、可愛い女性が流す涙がとても魅力的だなとちょっと思ったりした。
 「ごめんなさいね。ちょっといろいろ思い出しちゃって。
 本当は私の家、お父さんが自殺しちゃって、それでお母さんの実家に近いこの街に来たの。お父さんは小さな会社で働いていたんだけど、お金をオウリョウしたってことにされちゃって。絶対に何もしてないって言うのに。酷いことを言われて。近所からも
 お父さん、妬まれてたんだ。良くできた人だったから。
 叔母さんが悪いのよ。
 お父さんのお父さんとその姉で会社をやっていたの。それで、その息子たちに後を継がせることになったんだけど、自分の息子が継ぐはずだった地位をお父さんに取られたからって、それで」
 洟を啜り、唇を震わせている。
 しかしオレは、彼女の独白にもらい泣きしそうになりながらも、涙を流す潤んだ瞳はとても甘美的だなと少し罰当たりなことを思っていた。それはミルクのかかったイチゴよりも、生ハムがのったメロンよりも魅惑的で、恥ずかしながら、子どもながらに欲情した。
 「あのコートを見ていたら、お父さんのこと思い出しちゃってね」
 泣きながら微笑もうとする顔はやはり可愛かった。
 オレがポケットの中でプレスされたハンカチをそっと差し出しと、彼女の細い腕が伸びてきて、優しくそれを取っていった。涙が止まるまで長い2分が過ぎた。
 その間オレの心の中には茶色い苦い感情と欲情めいたピンクと悲しみの青とがない交ぜになっていた。
 スリまがいのカッパライに何ができるって云うんだ? 悲しい記憶でも盗めってのかい?
 オレは子どもながらにどうしたものかと悩んだね。
 あの紅いコートを彼女にプレゼントするだけでは決して喜ばないだろう。お父さんをあの世から連れ戻してくれば良いのかも知れないが、そんなことできるわけがなかった。
 その話を聞いた夜は浮かない顔をしていたようで、オフクロに「何をシミッタレた顔でご飯食べてるんだい。作ってくれた人に失礼ぢゃないか」と怒鳴られ、「手癖の悪さで失敗したのかい」と弟にバカにされ、飲み屋からご機嫌で帰ってきたオヤジには「火遊びはほどほどにだ」と鼻で笑われた。
 オレはそのひとつひとつに「ほっといてくれ」と返し、さっさとベッドに潜ってラヂオをかけた。ラヂオからはマイルス・デイヴィスの泣きっぱなしのジャズが流れてきて、オレの涙までも流れてきた。何かの映画の挿入曲だったようで、感傷的な心に心地良かった。
 と、そこでオレは思いついたんだ。まぁ、子どもの考えることだから大したことぢゃないんだけど、そんときは我ながら大したものだ、と思ったね。
 次の週末、オレは彼女を連れてT市へ行ったのさ。
 何をしにかって? ささやかな復讐をしにさ。
 駅へ着くとオレたちは彼女のオバサンを探しにいった。彼女のお父さんの姉だと云う。
 郊外にあるオバサンの家はさすがに判ったが、そこからが少し大変だった。
 日曜日と云うこともあって、なかなか出てこないのだ。オバサンも叔父さんも、子どもたちも。
 オレたちはその家を朝から張り込んでいたのだが、テレビ番組が停滞しだす昼下がりになってようやく動きがあった。
 オバサンがアホみたいに舌を伸ばすプードルを連れてきたのだ。散歩に行くようだった。
 オレたちはその後を尾行することにした。周りは何人で住んでるか判らないぐらいの大きな家で、見るからに高級な住宅街だった。庭には青い芝生、目に止まる車はすべてベンツ。歩いている人たちはテレビに映ればジョークだろうと云われるぐらいの貴婦人ぶりだった。オレたちはそんな中をオバサンのアラを探すように息を潜めて歩いた。
もうお判りだろうが、ファッキンなバアサンに何か恥ずかしい目に遭わしてやろうと云う、子どもじみたそれだけだった。
 犬を連れたオバサンはどんどんと郊外を過ぎて、山の方へ歩いていった。
 昼下がりだと云うのに、どんどん人気がなくなっていく。
 で、オレはそのアホ犬を見ているうちに、くすねしまってちょっとオバサンを悲しませてやろうかと思ってきて彼女に提案してみた。
 だけど、彼女は、
 「ねぇ、悪いけど。止めにしよう」
 と細い手でオレの腕を掴んだ。不安そうな顔がこちらを見ていた。
 「こんなことしてもきっと、悲しみはたぶんそのままだから」
 震えるような瞳にオレは一瞬躊躇した。
 「それで良いの。何かこんなふうに罰を与えても意味がないと思うの。
 きっと、神様が与えるような自然な罰ぢゃないと、意味がないって」
 オレはそれを黙ったまま聞いていたが、顔の側で動くその唇がとても紅くて、知らず 彼女を抱きしめていた。彼女がとても愛しく思えたのだ。
 「だから、もう、止めて帰ろう」
 言葉を途切れさせながら話す彼女の顔を見つめると、その目がオレを映していて恥ずかしくなった。
 ふたりして歩く帰り道、オレは彼女の寒そうな肩にマフラーを掛けてやった。
 で、その後どうしたのかって? 結局その日は帰ったさ。大人しく。その日はな。
 それから何事もなかったようにひと月が過ぎた、ある週末。
 オレは今度はひとりでT市に居た。
 そのオバサンの家の前にだ。
 昼下がりにオバサンはまた犬を連れて散歩に行くようだった。
 行き先は前と一緒のはずだ。オレはあの日から暇があればオバサンを観察に来ていた。
 何故にここまでこだわるのかオレにも判らなかったが、子どもじみた義憤だと思ってもらって構わない。オレの中で何かが許せなかったのだ。
 まぁ、とりあえずそのアホ犬を連れたオバサンよりも先に行って、簡単な罠を仕掛けたのさ。
 しばらくすると煙草をくわえてオバサンはやってきた。そして、そこに財布が落ちてることに気付いたんだ。オバサンはそれを拾って中をあらためている。と、一瞬何かが指に刺さったような苦い表情を浮かべた。その間アホ犬は食べ物か何かだと勘違いしてやたらとオバサンに飛びかかろうとしていたのだが。
 と、3分ほどした後、財布を熱心に見ていたオバサンは崩れるようにして倒れたのだ。苦しそうな表情を浮かべていた。
 オレはそれを確認すると病院へ連絡した。「人が倒れてます。場所は―」ってそれだけ云うとオレはさっさとその場所を離れた。結果は見えていたからだ。
 翌日の新聞には、拾った財布に毒。T市の女性死亡の記事が載っていた。死因は財布の内側にニコチンを塗った刃物が挟まっていて、それで指を切り―とかそんなことが書かれていた。熱心にオヤジの愛する煙草の残骸を集めては黒い毒を抽出した甲斐があったってもんさ。財布はもちろん途中でクスネたものだった。
 学校に行くと彼女は、
 「オバサンが死んだの。バチが当たったのかも」と少しだけ目を潤めていた。
 オレはそれに、そうなんだ、と云う表情を見せて、お天道様は見てるから、と笑って返した。
 幾らかでも彼女の悲しみを奪うことができたのだろうか、たまにそんなことを思い返す。

 で、その後どうなったかって?
 彼女は良い大学に進学して遠くに行っちまったけど。
 オレは変わらず、ヒネタままこの街で商売してるぜ。この街に生まれたもので。
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