2014年05月07日

因果

世界で起こる出来事とは、遍く、因果に拠るもの、なのだろうか。
先日のことである。年配のご夫人から奇妙な話を聞かされた。
散歩のつもりでぶらぶらと歩いているうちに、ついつい遠くまで来てしまい、休憩でもと思って入った喫茶店でのことである。
私は年季の入ったカウンターの席に腰を下ろしたのだが、店内にはほとんど客は居らず、カウンターに古希を迎えたくらいのご夫人と、そして、猫がいるだけだった。
コーヒーを注文すると私は猫に手を伸ばし、その喉や頭、背中などを撫でた。
猫はグルグルと喉を鳴らし、腹を見せるようにして甘えてくる。
腹は大きく、乳房が張っている。子どもが−−そう思った。
と、「その猫、お腹に子どもがいるんですよ」とコーヒーをドリップするマスターが声を掛けてきた。
「もうそろそろだと思うのですが−−。四五匹くらいいるんじゃないかと−−」
マスターは、フィルターの上に視線を注ぎながら話す。
私は猫の大きな腹を擦りながら、「そうですねぇ。それくらいは産みますかねぇ」と答えたが、当の本人(猫であるから『人』ではないのだが)は他人事のようにグルグルと喉を鳴らすばかりであった。
「里親を捜していますが、一匹どうですか」マスターは視線をこちらへ移し、民芸調のカップにたっぷりと入れてコーヒーを寄越した。
その間、カウンター席に座る女性は私が猫を撫でている様を眺めながら、コーヒーを飲んでいたのだが、不意に「因果、と云うものを意識したことがあるでしょうか」と問い掛けてきた。
唐突なそれに、私は「はぁあ」と間の抜けたような返事をしたのだが、そのご夫人は
「まぁ、何てことのない話なのですが、ふと、そんなことを思いまして」と気の弱そうな声で話し出した。
「私には素行の悪い息子が居りまして−−。昔から、何かと難儀な存在であったのですが。例えば、桜の頃に、庭の桜が花びらを散らして、お隣から苦情があれば、まぁ、掃き掃除をすれば済むようなものなのですが、桜の枝を残酷なほどに切ってしまい−−。
ネズミが家に出るようになると、ネズミを捕まえては、火で炙ったり、水に漬けて殺したりして−−殺すことを愉しむように、残虐な行為をしておりました。
納屋に野良猫が子どもを産んだときも、仔猫の首を折って、川へ投げ棄て−−、野良犬が敷地に入ろうものなら、弓矢で射抜くような、非道な者でした。
しかし、そんな息子にも娘がおり、そのような残酷な行為ができる人間とは思えぬ程、大層な可愛がりぶりでした。
当然私どもも可愛がっておったのですが−−先日、その孫が不審な死を迎えたのです。
遊びに行った先で行方不明になり、三日後、裏山で遺体として発見されたのです。死因は、頸椎の骨折に拠るものだったそうですが−−
小さな身体のあちこちに、様々な獣に噛まれ、噛み千切られたような痕がありました。
一緒に遊んでいた子どもたちは、『突然いなくなった』と云っていましたが、私には、その子の親の、息子の所業がそのような死を招いたように思われて−−」
私はカップに口をつけながら、どのような相づちを打つこともできず、漫然とその老婆を見ていた。
「猫や犬と云えど、生き物−−私たち人間と変わらない存在なのです。しかし、そうしたものへの驕りを持てば、逆に我々も天からの裁きを受けるのだと−−」
彼女はそう言って、小さくため息を吐いた。
マスターは煙草に火を点けると、淀んだ空気を追い払うように、大きく煙を吐いた。
猫は、またしても他人事のような顔をしながら、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
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2014年03月10日

どうでも好い話、である。
数年前引越しをした先で、近所への挨拶を兼ねて飲み屋を回っていたのだが、そのときに聞いた話だ。
Nと云う一風変わった寿司屋があるのだが、そこの常連さんで数週間前に隣の学区に住まいを移された方がいたと云う。
「出るんですって、これが」町の特色や店について話している中で、Nの女店主は両手をだらりと前に突き出して、そう切り出した。
「ユーレイ、ですか」一応の確認をすると店主は大きく頷く。
そして、眉を顰めるようにして、「何でもですね−−」と話し始めたのだ。
寿司屋の近くにM通りと云うのがあり、そこには洋書店や癖のある古書店、見るからに怪しげな喫茶店や北欧雑貨の店なんかがあったりして、週末などは若い人たちで賑わっているのだが、そんな通りの脇にひっそりとその物件はあるのだと云う。
「アベックで住んでいたんですけど」
そこに住んで程なくして、週の半分ほど、深夜の決まった時間になると彼女が男性に向かって説教をするようになったのだと云う。
「元々は、彼女の仕事の都合でこっちの方に移って来たこともあって、仕事のストレスかな、とか思っていたんですって。だけど、職場の話を聞いても、とくにストレスはないようで」寧ろ、充実していたそうだ。
しかし、女性は自分がそんなことをしていることに自覚はなかったのだと云う。
夢遊病と思い、専門的な知識のある人に相談しても、どうも違うらしい。
「あと、丁寧に掃除機をかけても、夜になると長い髪があちこちに落ちていることが頻繁にあったり」
「台所が通路に面していて、調理中ガラス越しに人が通った気配があるのに、その気配はどの部屋にも入らずに消えてしまったり」と云うことがあったという。
それ以外にも、鏡に気配を感じたり、洗ったばかりのシャツに赤い口紅が付いていたり。
「女性の気配がしたんですって」
そのアベックはそんな状況でも2年ほど住んで移ったそうだが、引越しをすると彼女の説教はなくなり、髪や口紅の怪もなくなったと云う。
「別の人から聞いたんですけど、最近そこの部屋を紹介する業者が、『ここで良いんですか』って何度も確認するらしいんですよ」
そんな物件だからか、敷礼金がなくて、家賃も安く、結構見に来る人が多いそうだ。
「家賃が安くても、気の休まらないのは嫌ですね」女主人はそう云うと顰めた眉をほぐすように戯けた顔をして、焼酎の入ったグラスに口をつけた。

先日のことである。
そのアパートが老朽化で取り壊されたそうだ。
知人がその解体をしたのだが、2階の5号室の壁から大量の長い髪が出てきたと云う。
それと、男女の関係で悩む女性が綴った手記とが。
感情が憑依した部屋だった、とでも云うのだろうか。

部屋を選ぶ際にはくれぐれもご注意を。
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2013年09月16日

太鼓

ふれ太鼓、と云うのをご存知だろうか。
何かを広く人に知らせる為の太鼓のことだが。
よく知られているのは、火事のときに鳴らされたものや大相撲の興行の始まりを伝えたものではないだろうか。
しかし、こうしたものとは逆説的な、悪い事の予兆として太鼓がひとりでに鳴りだした、と云う噺が私の田舎にはあった。
記憶では、貧しい生活を送っていた老夫婦が、山で遭遇した鬼に善行を施したところ、お礼に不思議な太鼓が贈られたのだが、それは天災や火事が近づくとひとりでに鳴りだし、村人を災難の及ばない場所へ誘い、命を守ったというものだった。そして老夫婦は、村の人たちから感謝され、幸せに暮らしたと云う内容だった。

そして、ここからは昨年遭った私の友人の話になるのだが。
「先日、嫁が子どもを連れて家を出ていった」と云う。
先日と云っても、その間に三度満月と新月が訪れ、季節は紫陽花の頃から蟲の啼き声が夜の闇に響く頃へ移った。
原因はここでは重要ではないので省くが、或る日、彼が帰宅すると半分ほどの荷物がなくなり、ただ、「さようなら」と書かれた紙だけが、ポツンと机の上に置かれていたそうだ。連絡を取ろうにも取れず、何とも遣る瀬ない日々を送っているとぼやいていた。
しかし、しばらくして、異変が訪れたのだと云う。
「嫁が置いていったものの中に、娘のおもちゃがあってね。電池式のものなんだが、触れると太鼓の音が鳴るやつが。それが、最近、ひとりで鳴るんだよ」
「何かの振動で鳴るのかな、と思って場所を移してみたのだが、やはり鳴る。それで柔らかいものの上に載せたのだが、それでも鳴る。仕方がないから、電池を外したんだけど、鳴るんだよ。と云うか、鳴っているようにオレの耳には聞こえるんだ」
「奇魅が悪いもんで、捨てようとも考えたんだが、娘のものだからと考えると、なかなか手放せなくてね」
「今もときどき鳴るんだよ。トントン、トントン、て」
友人はそう云うと寂しげな表情を浮かべて、大きなため息を吐きながら帰っていった。
ちょうどその頃私の周囲もバタバタしていて、彼の話しを忘れていたのだが、暫くしてまた、彼と遭遇した。相変わらず奥さんとは連絡が取れないのだそうだ。
「家を引越したんだ。家族用の広い家だったからね。がらんとした空間の中に独りで居ると、娘の描いた絵とか家族の写真とか、あの頃のものがありすぎて、何とも寂しさに潰されてしまいそうでね。妻と娘の帰りを待っていても、どうにも判らないし。だけど」
と、そこで彼は顔を顰めて云うのだ。
「引越した二日後、隣の家から出火して、延焼して、オレの住んでた家まで燃えてしまってね。普通ならちょうど寝ている時間だったから、もしかするとオレも火に包まれてたか、煙で燻されていたか判らないな」
消防署の調べでは、隣家の漏電が原因だったそうだ。
彼は神妙な顔で火事の話しをしてくれたのだが、ふと思い出したように
「引越しを考えていると、あの太鼓が鳴ったんだ。トントン、トントンと。何かをこちらに伝えるように」と云うのだった。
「離れていても、娘さんは君のことを想っていてくれたのかもね」
私は彼の言葉にそう返したのだが、彼は泣いてるような笑ってるような表情を浮かべていた。
その後彼はどうなったのか判らないが、幸せになっていたらと思う。
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2013年08月12日

生きているといろいろなことに遭遇するが、これは一昨年の夏の話である。
その頃の私は、仕事がらみの人間関係に悩まされ、また、並行して私生活でもトラブルに見舞われ、鬱々とした精神状態にあった。
このままでは潰れてしまう、との本能的な危機を感じた私は、飛び出すようにして家を出たのだ。いつもの乗り馴れた自転車で、いつも持ち歩く鞄(中にあったのは財布と本くらいだった)を持って。当然シェラフなどはなかった。
どこかへ向かうアテなどなかったが、何となく自転車は隣の県のS湖を目指していた。
S湖は縦に長く、かつては運搬や交通の要所としての機能も果たしていた湖でもあった。
家を出て二日目のことである。
湖の北部の辺りを走っていた私は、不思議な集落に入ってしまったのだ。
不思議な、と表現するとナンだが、余所者を排除するような閉鎖的な雰囲気が漂い、狭い一本道の関所のような入口から入った途端に違和感を受けた。
違和感の中身は、古い町並みが残っているとか、古い名残が残っている、と云うものではなかった。四十軒ほどの家があるのだが、家々自体は現代的な意匠のものもあり、格別な古さが漂っているわけではない。
恐らく家の配置とか、街に堆積した住民の営みが産み出す特質なのだろう。後で判ったが、その集落は険しい山々と湖の間に存在し、湖を渡ってくるか、関所を通らなければ入ることができなかった。
その集落に入ったのは、西の空が赤く染まりだした頃だった。
初日は屋根のあるバス停で寝たのだが、その日はせっかくなので民宿にでも泊まろうかと思い、集落の中をウロウロとしてみた。
二軒ほど民宿の看板を出した家が見つかったが、どちらも今は廃業しているとのことだった。空き家でもないかと探してみたがそれもないようで、仕方なく私は集落を見下ろすようにして存在する神社で夜を明かすことにした。神社はその集落を守護する存在なのだろう、集落名のついた神が祀られていた。
境内には人気はなかった。社務所らしき建物にも誰かが居るような気配はない。
私は境内の傍らの人目につきにくい場所に自転車を停めると、お堂の中で休むことにした。
お堂の中には埃を被った本尊が一体置かれている。
私はその神に一礼をすると、その晩の加護を祈念した。
さて、その夜である。
旅の疲れもあり、来る際に手に入れたお酒を飲んだこともあって、私は深い眠りに導かれたのであるが、何故か夜更けに目を醒ました。後で振り返れば寧ろ起こされたと云えなくもない。
お堂の外から声がした。何を云っているのか明瞭には判らない。
ただ、何かを口論しているような空気が伝わってきた。
お堂の格子戸から外を見ると、月灯りの中に殺気立った武士のような二人が相対するのが見えた。刀を正眼に構え、何か声を発している、ように思えた。
しかし、その身体には首から上がないのである。首から下の人形。
声はどこから出ているのか、と思って周囲を見渡すと、傍らに落ちた首があり、そこから発せられていた。
首は云う「この怨みを今宵晴らさん」と。もう一方の首が云う「汝、切り捨てん」と。そして、胴が動きだし、刃が互いの肉体を斬りつける。
私は恐れながらその風景を見つめていたのだが、不意にこちらを見た首と目が合った。
ぎろりと目が私を捉える。「人の匂いがする」「人の匂いがする」首が云う。
ざくざくざくざく、玉の石を踏みしめる跫音が近づいてきて−−。
私は恐怖心から神に祈るばかりだった。
そして、祈るうちに、いつしか私は気を失っていた。

気がつくと辺りは陽の光を浴びていた。
私は一目散にそこを離れ、誰か人の居る場所を求めた。
何キロか先の煙草屋で漸く人と話すことができた。そこで件の話をすると、「あすこは怖い場所なんだ」とだけ云われた。

何度思い出しても不可解な思い出である。
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2013年06月30日

絵画

ずいぶん前に趣味の良い友人Aが遊びに来た際、「旅の土産だ」と云って一枚の絵画を置いていった。それはバリ島で手に入れたとかで、細かな筆致で、と云うより寧ろ微粒子を捉えたような、小さな点々を結んで空間に対象物を浮かび上がらせた技法で描かれ、これまで私が目にしてきた欧州の絵画とも日本の絵画とも、ましてや中国のそれでもない作風だった。絵画は手彫りの木の額に収められていた。
そこに描かれていたものは、A曰く「イカした “悪魔”」だとかで、奇妙な風采の、極彩色の服を纏った“悪魔”が暗闇の中に潜んでいるものだった。
「こいつは、日本の鬼子母神の原型だぜ」
Aはその絵画を手に入れた経緯を含め、あれこれと彼の審美眼が旅先で何に反応したのかを語って寄越したが、私はその奇妙な絵に眉を顰めながら、もうひとつの土産であるアラックを口に運んだ。その絵画は仕事場に飾ることにした。
奇妙な“悪魔”の絵は独特の空気感を漂わせており、飾ってみるとやはり違和感を持っていて仕事場の雰囲気に異質なテイストをもたらしたが、次第に私のなかではその異質さは日常の風景のアクセントへと消化されていった。
ただ、初めて訪れた編集者や客人はその絵画に一度は目を惹かれ、皆「ちょっと怖いですね」と口にしていった。
2年ほど経った頃だろうか。アシスタントで雇った美形の女の子が、部屋の掃除の際に、その絵画を落としたのだった。「埃を取ろうと思って」ハタキをかけたときに、留めていた金具から外れて落ちてしまったそうだ。
暗闇の部分に裂け目ができたのだが、まぁ暗闇の部分だから目立ちもしないし、と私は何もせずに置いておいたのだが、それ以来しばしば不幸が重なった。
長年職場で飼っていたインコが籠の中で亡くなっていたのを始めに、生い茂っていた観葉植物が枯れ、電気製品が不調になるなど、何となく厭な空気感が仕事場に漂い出した。そうなってくると、仕事の方にも悪影響が現れ始め、些細なミスが大きな失敗を招いたり、仲の良かった出版社と諍いが起きたりで、日常的に苛立つことが続いた。
私はその絵画の所為だとは思っていなかったが、アシスタントは、その“悪魔”に似た何かが夜中に仕事場を徘徊しているのを見たとかで、不調の原因を“悪魔”の所為だと主張するのだった。
「お財布を忘れて、事務所に取りに戻ったんですが、入口のドアを開けると人影が見えたんです。最初、空き巣かと思い、警察に通報しようとしたんです。携帯電話を取り出して、番号を入力して−−とそこでもう一度人影を確認しようとしたんですが、目の前で消えてしまったんです。音もなく、本当に一瞬で」
私はその話を聞いて、逆にその絵に興味を持ち、まじまじと観察してみた。以前と何かが違っているように思うが、何が違うのか判らない。ただ、違和感が存在している。
と、私の背後から見ていた女史が、怯える声で「牙が伸びてます」と呟いた。
確かに以前は見えなかった牙らしきものが、口の端から伸びている。
数日後、件の女史は辞めてしまった。
後日談だが、件の女史が去った際、幾ばくかの現金がなくなっていることに気付いた。少なからずこの間起きていたトラブルも彼女に起因するものだということが判った。
悪魔よりも、小悪魔か−−と私は心のなかで呟いた。
牙の伸びる絵画−−趣味の悪い私は、悪魔が現れたならどんな契約を結ぼうかと夢想しながらその絵を未だに飾っているが、残念ながら一度もお目にかかれていない。
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2012年06月12日

問い

理不尽に問いかけられる、と云う経験がおありだろうか。
まぁ、大人になれば毎日のように何かしら問題を突きつけられるが。

私が幼少の頃の話である。
夏の終わりに友人とカブト虫を捕まえに行った帰りに、不思議な家を見つけた。
不思議な、と云うとナンだが、ボロボロの家で、人が住んでいる気配が感じられない、廃屋だった。
車の往来がまったくない旧街道から少し離れたところで、鬱蒼とした杉や樫などの樹々に隠れるようにしてあったそれを、一緒にいた友人が見つけたのだ。
その歳頃の男子なら当然持ち合わせている(そして、厄介ごとばかりを引き起こす)好奇心から、私たちがその家屋を探検してみたくなったのも当然の成行きだった。
家の規模は大変大きかったように記憶しているが、もしかしたら幼かったのでそのように思い込んでいるだけかも知れない。
玄関の引戸を開ける、と立派な土間と黒々とした柱、梁−−威厳に満ちたモノトーンの空間が広がっていた。クラシックな空間の端々に、当時の私の田舎には不相応な文化の残骸が見られた。
友人とふたりであちこちの襖や引戸を開け、何があるのだろうかと、緊張と興奮とを感じながら探って行った。
幾つ目かの襖を開けた時である。異様な空間が広がった。
目がその空間を捉えた瞬間に、本能的に危険を感じたと云ったら良いだろうか。何か得体の知れない恐怖が存在しているのを感じたのだ。
十畳ほどの部屋だった。漆喰の壁、畳の床、そして、それらに描かれた不規則な模様。
アラベスクなど装飾的な模様ではなく、何かが這った後のような模様が部屋中に書込まれているのだ。襖に、窓に、床の間の掛け軸にまで、部屋中のあらゆるものがその模様の下敷きになっていた。
私たちは恐怖を抱きながらも、出しゃばる好奇心を抑えられず、脚を前へと進めて行った。
奇妙な模様−−顔を近づけてみると、果たしてそれは文字だった。手書きの文字が、書込まれていたのだ。部屋中に。そしてそれは、いずれも問い掛けだった。
「十年後のあなたは何をしていますか」「今日は何をして遊びましたか」
友人が声に出してそこに書かれているものを読み出した。
「あなたの名前は何ですか」「今日は何時に起きましたか」「駆けっこは速いですか」
最初目についたのは、初めて習う外国語の例文のような内容のものばかりだった。
子どもであった私たちは緊張の中で見つけた簡単な言葉に安堵し、お互いに向かいあって質問を始めた。「朝は何を食べましたか」「好きな食べ物は何ですか」
しかし、それは次第に不気味な感慨へと変わっていった。
「憎い人はいますか」「殺したいと思う人は誰ですか」「誰を呪っていますか」
内容は悪意を帯びたものになっていったのだ。
「先生は嫌いですか」「モノを盗んだ事はありますか」「学校を燃やせますか」
そして、悪意は、奇妙な渦を巻きだす。
「窓の外から覗いているのは誰でしょうか」
「そこには何人いますか」
「明日の午前3時には何が起きるでしょう」
夏の終わりの赤い陽が山の向こうに沈み、暗かった室内が、いっそう暗くなる。
発せられた言葉が空気を重たくした。
「あなたの隣に居るのは誰でしょう」
友人がこの質問をすると、私に向いていた友人の表情が曇ったのが判った。
言葉が出ず、引き攣ったような表情のまま、彼の視線が私の隣に注がれている。
私は恐る恐る視線を横へと移していく。顔は正面を向いたまま。
ゆっくりと、目だけを横へ横へと。
私の視線が捉える。蒼白い何かが、隣に、居る。
と、怖くなった私は友人の手を取って、一目散にその部屋を抜け出して、家を後にした。
外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、どこをどう走ったのか判らないが、どうにかこうにか普段見慣れた家の近くまで来ることができた。

その夜の事である。
件の友人は亡くなってしまった。死因は急性心不全だった。
彼の母親は「突然夜中に叫び声がして、心配になって息子の部屋へ行くと、泡を吹いたまま倒れていました。午前3時頃でした」と話していた。
翌日見た彼の顔は、何かに怯えたような表情だった。

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2012年06月11日

夏の記憶

或る夏の夜の記憶である。
不思議な記憶で、今でも実際のことだったのか、ただの夢なのかわからない。
しかし、ときおりその記憶がフラッシュバックし、私に何かを訴えようとする。
古い小説なら『過去からのメッセージ』とでも云うのだろうか。
自分以外の人間にとってはどうでもいい話だが、ここにそれを記しておこうと思う。

私はパパとママと海へ出かけた。パパがいつも乗っている青い車で。
パパはいつも通り優しかったが、今思えば少し寂しそうだったし、苛立っていたような気もする(もしかしたら時間が経過する中でそんなふうに思うようになっただけかも知れないが)。
ママは座席にはいなかった。いつもなら助手席に座っているのに。
ママがいない事について訊ねると「少し具合が悪いから後ろのトランクで休んでいるんだ」とパパは答えた。
車のラジオからはポップスが流れていた。
誰が歌っているのかは思い出せないが、近所のおねえちゃんが歌っている曲が多かった。
開けた窓からは心地よい風が入ってきて私の髪をなびかせた。
「ママなら大丈夫だ。薬を飲んで眠っているんだ」
「さっきケンカをしたときにケガをして、その時にケチャップがついちゃってね。だからパパもママも服が汚れているんだ」
「海についたら泳ごう。ママも一緒に泳ぐから」
パパは優しくそう語りかけ、何度も煙草に火を点けて、美味しくなさそうに吸った。
パパの口からはエンジェルの頭の上に浮かぶ輪っかのような煙が吐き出された。
私はママの顔が見たくなって、パパに何度も見たいと伝えた。
パパはその都度、私にダメだと言った。
「ママは今、そっとしておいて欲しいんだ」
「海に着いたら、遊んでくれるよ」
外の景色は市街地を抜けて、寂しい風景だった。
「どうして海に行くの?」
「ママが海で泳ぎたいって言ったからさ」
家を出て、一時間ほどが経った頃、海に着いた。
夜の海は人気がなくて、ザワザワと押し寄せる波の音が耳の中に入り込んで、コルジ器の辺りでリフレインした。
パパはママをトランクから下ろすと、お姫様抱っこをして海に入っていった。
ママはぐっすりと眠ったままだった。寝息は波の音にかき消されてわからなかった。
「ママは海が好きなんだ。ここで夜の星が見たいって言ってたんだ」
夜の闇が水平線を侵蝕している。
その中に浮かぶ星々。
ザワザワザワ。ザワザワザワ。ザワザワザワ。ザワザワザワ。ザワザワザワ。
波の音が耳の奥でリフレインし、記憶を侵蝕していく。
ザワザワザワ。ザワザワザワ。ザワザワザワ。ザワザワザワ。
記憶はいつもそこで途切れる。

パパはそれからしばらくしていなくなってしまった。
海水浴の最中に溺れて死んでしまったのだ。
ママは今でも居るが、私との間には不思議な違和感が横たわっている。
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2012年03月17日

崩落

空が落ちてくる−−そんな話をあなたは信じるだろうか。
それは私がまだ若い頃の−−画学生の頃の話だ。
私は絵の勉強と称して、パリへ留学していた。
留学と言えば聞こえはいいが、金のない貧乏学生で、ノートとペン以外は何もなく、パンとワイン、たまにフロマージュを口にするぐらいが精々の暮らしぶりだった。
不自由と言えば不自由だが、それ以上に自由ではあった。
しかし、そんな生活も長いこと続けているといささか飽きてくるもので、私はパリ以外の風景を見たくなったのだ。できるなら、田舎の風景を。
或る日、そんなことをアパルトマンの主人にこぼすと、「ルクセンブルグの近くに、中世の町並みを残した村があるらしい」と教えられたのだ。
ただ、村の名前は彼にはわからなく、以前酒場で一緒になったことがある商人から聞いたそうだ。
私は大変興味を惹かれ、その村を目指すことにした。しかし、正確な場所は判らなく、そっちの方へ向かうクルマを引っ掛けては乗せてもらうという行為を繰返してアプローチする以外になかった。ヒッチハイクをしていれば何か情報も手に入るだろうと淡い期待を抱いていたが、結局は何も手がかりが掴めぬままだった。
パリを出て三日目のことである。泊まった安宿を出ようとしていると、大きな荷物を携えた、商人風の男が足早にフロントへやってきて出ていくところに遭遇した。そのときの私は、誰彼と言わずその村を知らないかと聞くようになっていて、早速その男にも尋ねたのだった。
男は、難しそうな表情を浮かべて少し考えると
「Mという集落じゃないか。確かに古い町並みは残っている。ただ、もう村と呼べるほど人も居ないし、何より−−」
と、そこまでは聞き取れたのだが、フロントの電話のベルが鳴り出して、その後の言葉を聞き漏らしてしまった。男は「ボンボヤージュ」と手を振ると忙しさを強調するように時計の針を確認し、小走りに出ていった。
私はひとまずそのMを目指すことにした。その日三度目のヒッチハイクで、幸いにもその集落を知っているという人のクルマに乗ることができた。
ただ、「もうそこは」と商人と同じように人が居ないし、他に何もない、と言うのだった。そして−−神に呪われているからね、と。
「神の呪い?」私はその言葉を拾って確かめたのだが、彼は大きく頷いただけだった。詳しく聞こうとしたが、苦い表情を浮かべるばかりで、何も教えてはくれなかった。口にするのも忌まわしかったのだろうか。
私は歩いて夕方ぐらいには着けるぐらいの場所に下ろしてもらった。
「あとはこの道を真直ぐ行って、山を越えればいいさ」彼の教えの通り山道を進んでいくと古い絵画の中で見たような集落が不意に眼下に広がった。堅牢そうな建物が畑の合間に立ち、遠くには水車が回っているのが見えた。おそらく、あの西陽をうけたそれらの風景は、芸術の道を歩む者でなくとも心打たれるものだったのではないだろうか。
私はその集落へ駆けて行った。足を踏み入れると、尚のこと感情は昂った。
しかし、である。すぐにその感情は寂しさというよりは、不安の色を帯び始めた。
一切人気を感じないのである。誰も歩いていないばかりか、試みに家の扉を叩いても反応はなく、開けてみたのだが(失礼だとは思ったが)、生活している様子もなかった。
正確には最近まで生活をしていたようなのだが−−卓の上に食事をした後が残っていたり−−少なくともひと月以上は経っているようだった。
訝しみながら、次々と家を覗いてみたのだが、どこも寝台のシーツが縒れたままだったり、ワインがグラスに残ったままだったりで不自然に住民が消失したようだった。大地震にでもあったのだろうか、と思ったりした。
だが、私は奇妙な想いを抱きながらも、この集落に泊まることにした。日が暮れてしまったというのもあるが、この村の美しい風景をもう少し長く見ていたいと思ったのだ。
不安ではあったが適当な家に宿を定めると、その近所の家々のキュイジィヌを物色した。結果、薫製した腸詰めとフロマージュ、ワインが数本見つかった。
普段よりも贅沢なそれらでひとり晩餐をし、私は心地よい気分で眠りに就いた。

と、夜のことである。
不意に何かの声で目が醒めたのだ。眠い目を擦って闇の中を凝視すると四つの目がこちらを睨んでいる。咄嗟に寝台の上で構えたのだが、よくよく見るとそれらは猫であった。二匹の猫が窓越しに私を睨んでいたのである。
私は少し安堵したのだが、気がつくとこちらの窓にも、あちらの窓にも猫らしきシルエットが見えた。
どうやら無数の猫たちがこの家を囲んでいるようであった。
「神の呪い」−−そんな言葉を思い出した。
何ともいえない恐怖が込み上げてきたのだが、その恐怖はさらに天空から落ちてくる音によって、いっそう膨れ上がった。
巨大な地震、或いは嵐がやってきたような、禍々しい空気が部屋中に充満し出したのだ。
私は荷物を持つと意を決して外に飛び出したのだが、煌煌と照っていた月は雲に隠れ、集落の空気は凶悪な緊張感を帯びていた。何よりも、今まで耳にしたことのない天空からの音が私を恐怖の中に押込めていた。
と、足下で猫が鳴いた。見れば、先ほど窓から睨んでいた猫が私を見つめている。
そして、こちらへ来いとでも言うように、先を歩き振り返るのだ。
私がそちらへ歩いて行くと、最前家の周りにいたであろう猫たちも−−その数は何十匹もの大群であった−−一斉に歩き出し、集落と外部とを繋ぐ山道を登り始めた。
今にして思えば、猫たちに導かれるように、私はその集落の外へと出たのだが−−。
唐突に、背後でいっそうの巨大な音が轟いたのだった。
世界の終わりを想起させるその音に、私は一瞬気を失った。気付いたのはそれからどれくらい後だったのだろうか。
辺りを見回したがあれほどいた猫たちの姿はどこにも見えなかった。しんとした樹々の気配があるだけだった。
私は先ほどの音が何だったのか確かめようと、もと来た道を戻ったのだが、雲から顔を出した月に照らされた眼下の集落は−−崩壊していた。
落ちてきた空に潰されたかのように、立体を失って。
私は不思議な気持ちでしばらくその風景を眺めていた。

帰国した後にこの話を知人の何人かにしたのだが、一様に夢でも見たんじゃないのかと言うばかりで誰も信じてはくれなかった。
ただ、今でもあれが神の呪いのせいだったのだろうかと考えてみたりするが−−結局はすべて、神のみぞ知る出来事、なのだろう。


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2012年01月21日

悪魔の手

学生時代の友人Nの母という人物から電話があった。
入院しているNが会いたいと言っているのだと云う。
「何かお伝えしたいことがあると言うので」
それを聞いて私は数年前のことを思い出した。
数年前−−長い間連絡を取っていなかった友人Nに、偶然にも街で遭った。
彼は昔から派手な遊びを好み、学生時代には高級なイタリア車を乗り回し、高そうな服を着て、キザな連中とつるんでいたりしていた。私とは住んでいる世界が違かったが、何故か性格的にはウマが合い、学食でご飯を食べたり、一緒にクラシックのコンサートを聞きにいったりしたことが度々あった。彼曰く「一緒にいると落着くのだ」そうだ。
金持ちの子息令嬢が通う大学だったので、彼もいいところの出なのだろうと思っていたが、別にそうではないらしかった。そうすると裏には何か秘密があるのだろうと思っていたのだが、彼はいつも「ナイショ」と教えてはくれなかった。結局は、彼の素性を知らなくてもとくに問題のない関係だったので、それ以上追跡することもなく、大学を出た後は二度ほど連絡を取ったっきりで、半ば忘れかけていた存在だった。
「悪魔の存在を信じるか?」
立ち話もなんだから、ということで私たちは喫茶店に入ったのだが、コーヒーが運ばれてきて、互いの近況や懐かしい話をしていると、不意にそんなことを言ったのだった。
私は、見たことがないから何ともわからない、と返したのだが、彼は真顔で「実はいるんだ」と言う。
「学生のときに、オレ、派手に遊んでいただろう。高いクルマに乗って、ブランドものの服を着て。アレは全部悪魔と取引をしたからなんだ。
或る日、古本屋で手に入れたラテン語の本に、『悪魔の喚び方』というのが書いてあって、面白そうだから試してみたんだ。魔法陣と言うのかな、六方星を書いて、周りに数字を書いて。ラテン語の呪文を唱えたんだ。すると、火などないところから、煙が出てきて声がしたんだ。そして、だんだんと身体が現れてきて−−耳の長い変な生き物だった。キリスト教の本なんかに出てくるあんなものとは少し違って、もっと魚とか両生類に近い、気味の悪さだった。
そして、ヤツが言ったんだ、『お前の願いことを、何でも叶えてやろう』と。
オレは、誰にも言ってなかったんだが、実家は貧しい家でね。正確には、没落した家で−−ジイさんが悪いオンナにつかまって、全部獲られてしまって−−まぁ、裕福とは正反対の家だった。だから、貧乏な生き方しか知らなかったというのもあるんだが、カネのある生活に憧れがあってね。悪魔と取引をしたのさ。
『オレの人生を半分やるから、カネのある人生にしてくれ』って。ヤツは変な笑い声を出して頷いたんだ、『わかった』と。そして、『お前の望むことを叶えてやろう。ただ、それはお前が真の幸せを望んだときに終わる。最も悲惨な形で』と言って消えたんだ。
消える前にオレの鳩尾の辺りを叩いていった。後でそこを見ると、掌のような形の、小さな痣ができていた。
それからさ、オマエが知っているオレの姿は。カネを使って、幸せを買うような人生を送って−−。
だけど、あれこれあって気付いたんだ。−−気付いたと言うか、カネで得られる人生に飽きたんだな。何でも手に入ってしまう人生に」
それから彼は正反対の人生を模索し始めたのだと云う。農場を買い取り、自給自足で働くことを愉しみ、自然に拠る困難も含めて生きる悦びを実感していたのだと云う。
「ウシや自然を相手に生きていくのは、なかなか大変だが面白いものだな。だけど、気付いたのさ、結局は−−その生活も悪魔との取引の結果なのだと。
何をしても失敗をすることはなくて、もう、カネを浪費する以外にない人生なんだ。オレの人生は」彼はそんなことを言って悲しげな目をしていた。

病院に行くと「余命幾ばくもないらしいのだが」とNは切り出した。
簡単に言えば、胆のうと肝臓の癌、ということだった。
胆のうが侵され、そこから肝臓に転移したのだそうだが、医者の表現によれば「掌がひっついたような形で、癌細胞が広がっている。手の施しようがないほど」だそうだ。
「医者は言ったんだ。あと、二ヶ月ほどの命だと。だけど、オレは今、四ヶ月ほど長く生きている。死のうと思っても死ねないんだ。自殺を試みたけれど、三度失敗した。
生きているのが嫌なのに、死ぬこともできないんだ。
真の幸せを望んだとき、と悪魔は言ったがオレには判らない。何が真の幸せだったのか。
あれもこれも苦労がないから実感など持ってなかったんだ。だから、心から幸せを感じたことなどないのだよ。今のオレにとって幸せが何か、と言われれば、もっと充実感のある人生だったな。
でなければ、安らかに眠りに就くことだ。今すぐに」
充実した人生の希求と惰性の末路ーー窶れきった彼の背後で、悪魔が笑う声がしたような気がした。
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2011年11月05日

月鳴鳥

皮肉なことに、まともに生きようとするほどに、変なものに遭遇してしまう、と云う人種があるとすれば、それには間違いなく私も属することだろう。これは一週間ほど前の奇妙な体験である。
たまに訪れるN町の古いバーで飲んでいたのだが、あまり見ない客が入ってきたのだ。
シルバーグレイの髪やチョコレート色のスーツの着こなしなど容姿は幾分若く見えたが、会話や動きの端々に傘寿は過ぎた気配が見られる御仁だった。
何となく旅に出たくなって、ひとりで出てきたそうで、御仁が隣に腰を下ろした縁もあり、同じくひとり客であった私は彼と言葉を交わすことになった。
初めのうちは旅の話、何とはない生活の話、食べものの話など、どうでもいい会話ばかりをしていたのだが。
ふと、唐突に彼は鳥の話をしだしたのである。

ゲツメイチョウと云う鳥をご存知だろうか。
和名ではそう呼ばれており、漢字では、月に鳴く鳥と書くのだが。
月に向かって鳴く姿から、月から来た歌い手、と呼ぶ地域もあるとか。
海外では澄んだ夜空に響く美しき鳴き声や、月光を浴びて濃い群青の空に神々しい軌跡を描くことから神聖なるものとして扱われていることが多いようだ。
しかし、私の集落では、死人の魂を迎えに来る鳥、と呼ばれていた。
極楽浄土からの使者として伝えられていたのだ。
私はこれまでに三度、その鳥を見た。
一度目はまん丸い月がぽっかりと晩秋の空に浮かんでいたときである。
そのときは、村外れに住む叔母の家へ届け物に行った帰りだった。
久しぶりの訪問と云うこともあり、あれを食べろ、これを食べろ、ともてなしを受けているうちに結構な遅い時間になってしまっていた。
叔母は泊まっていけと云ったが、私は家で待つ母や兄妹たちのことが気になり、帰ることにしたのだった。
街灯もなく、月の明かりだけが頼りの道だった。
とぼとぼと歩いていると、少し先の辺りからホーロロホーロロと声がした。
フクロウやミミズクの声にしては変だなと思った程度で、それが月鳴鳥の声だとは全然思わなかった。ただ、そこに何がいるのだろうと思いその辺りへ近付いていくと、鳥がバサバサと羽を動かして飛んでいった。金色の軌跡を残して。
月の明かりに照らされたその姿は神々しいとしか言い様がなかった。
後日、その先にあった家で不幸があったことを叔母から聞いた。
二度目は、それから三十年後のことである。
それは自分の妹を看取ったときのことであった。
風邪をきっかけに急激に体調を崩した妹はいつしか、鳥が見ている、と家族に譫言のように繰返し言っていたそうだ。
離れて生活をしていた私は、妹が危篤の報を聞いて急いで向かったのだが、妹のいる家に近付く汽車の窓から、あの鳥が飛んでいくのが見えたのだ。そのときも金色の軌跡を描いて。
妹のもとに着いたときには既に息を引取っていた。
私が月鳴鳥を見た時刻が、妹の心肺が停まった頃だったそうだ。

そして、その三度目が今、目の前にある。
貴方には見えていないかも知れないが、いま目の前に美しい鳥が居て、私を見つめているのだ。私は間もなく眼を瞑り、心肺が停まるのを感じるのだろう。

彼はそう言うとお金を払い、ホテルへと帰っていった。
私は御仁が心配になり、宿まで送ったのだったが、別段そのときは何でもなかった。
別れる際に、夜空に金色の軌跡があったなら、私だと思ってくれと云われたのだが、結局のところ私は何かの冗談だろうと、どこか思っていた。

翌日のことである。
御仁が気になりホテルまで行くと、未明に亡くなられたと云うことであった。
聞けば、その筋では名の通った画家だったそうだ。
しばしフロントで感慨に浸っていると、ロビーにあった古いカラクリ時計がちょうど14時を指し、木彫りの鳩が顔を出して二度鳴いた。
残念ながら渇いた声がしただけだった。

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2011年10月01日

これは2、3年前に聞いた話である。
その頃わたしが手伝っていたバーにときおり飲みにきていた、***と名乗った四十代後半の男性からである。
彼の育った田舎と云うのは、今でこそ少なくはなったものの、俗信が多い集落であったそうだ。
「蛇の日の暦を踏むと、山で蛇に襲われる。田植えの夢は不幸の前兆。葬式の日以外で水にお湯を足してはいけない−−祖母も、母も、叔母も皆そんなことばかりを口にしていた。地震が起これば「マンザラク マンザラク」と云うマジナイを唱え、大地が鎮まるのを願ったり。あのときにはこれ、それのときにはこう、とかなりの数の俗信やマジナイがあったが、祖母も叔母も、私の母も、集落の人たちは皆それらを意識していたよ。
寧ろ生活自体がそうしたものの上に成立していたんじゃないかな。
城下町の出身で、先進的な教育を受けた入り婿の父を除いて、皆信じていたよ」
「そんな俗信のひとつに、『烏啼き』と云うものがあったんだ。
烏が停まって、啼いている家には不幸が起こる、と云うものであったんだけど。
父の言葉に拠れば−−
墓場のお供え物に慣れた鳥だから、葬式があれば餌にありつけるのを知っているのだろう。不幸が起こった後にやってくるのだが、人々の間では不幸と烏とのイメージが結びつき、いつしか逆に先行する形で、烏の訪れが不幸を招くと思われるようになったのだろう。
とのことで、私は子どもながらに妙に納得していた。こういったら生意気だが、科学が無知に光を差す、とそれがきっかけで思うようになっていったのだ」
「私は大学への進学を機に都会へと出、卒業後も帰郷することなく都会での生活を続けていた。その間に私は件の俗信を意識しないようになっていた。科学云々と云うのもあるが、都会では田舎とは同じ記号でも別な意味を持つもので、烏に関しても害鳥と云う意識しか持たないようになっていたからだが、数日前に、ふと思い出してね」
「オフィスビルと信号以外に何にもないような交差点で、やたらと烏が啼くのだよ。
大きな交差点の電柱に停まって。カァカァ、と。気味が悪くてね。
しかも、私の働くオフィスの窓が、啼いている烏と丁度同じ高さでね。職場の皆がうるさいからって烏をそこから追い払おうとするんだけど、不思議と戻ってくるんだ。
結局、その日は夕方になるまで、そこで啼いていたんだが。
翌朝出社すると、ビルの前の交差点に人が集まっていてね。
野次馬的に聞いてみると、事故があったというんだよ。子どもの飛びだしらしいんだけど、ふざけ合っていた子どものうちのひとりが何かの拍子に道路に出てしまって、偶然にもパトカーに追われた猛スピードのクルマがやってきて−−ぶつかってしまったんだそうだ。
で、その話を聞いたときに思い出してね。烏の話を。
偶然にもその烏が向いて啼いていた方が、丁度その現場だったんだ。
アイツらと云うのは、実は本当に不幸が起こるのを知っているのかも知れんね」

何でこの話をしたかと云うと、同じような状況に遭遇したからである。
数日前にちょっとした用で旧友の家を訪ねることになったのだが、隣の家の屋根に烏が停まり、啼いていたのである。一軒家に、数羽の烏が、並んで。
そのときに具体的にどうと云うわけではないが、うっすらと黒い影を感じたのである。
それが今朝の新聞に、強盗が押し入り−−と載っていたのである。
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2011年01月29日

本日のメニュー

今日もあの二人が夢に出てきた。
左目の左下にホクロがある女の子が言う。「本日のメニュー」と。
右目の右下にホクロのある女の子が手にしたメニュー表を読み上げる。
「本日のメニュー。
オードブル
 アンディーウ゛とクルミのサラダ 岩塩とオリーブオイルで大銀河に星を描いて
 田舎風パテ ブコウフスキーな酔いどれコニャック風味
 マジックマッシュルームのテリーヌ 麻の葉を敷き詰めて
 菜の花とモルヒネ牛のサラダ仕立て 
 洗礼を受けたブリのカルパッチョ
 サーモンとリンゴのマリネ アダムとイブの恥じらいを込めて

スープ
 メスカルサボテンのクリームスープ
 ブロッコリーのサイケデリックなポタージュ
 カニとアサリのスープ 失楽園なパイ包み
 キンキーなオニオンスープ 
 魅惑の栗ポタージュ
 エビとタラがのたうつサフランスープ

魚介料理
 太刀魚を切らずにムニエル サフランソース添え
 サーモンと白子の****クリームグラタン
 エビとホタテのアダルトなクリームパイ
 タラ白子のソテー ニンニク風味(夜のお伴に)
 オマール海老のグリル 淫らなトマトのジュレ添え
 カニとホタテのコロッケ ドドメ色なホウレン草のソースで
 サーモンときのこ、ジャガイモの小宇宙なホイル包み

肉料理
 鴨肉のロースト ふぞろいなオレンジソース添え
 ローストしたポーク 洋梨の添い寝つき
 牛ほほ肉の血のような真赤なワイン煮
 ブルーチーズを詰めたチキンのコンフィ LSDを詰めた根菜とともに
 ピーターラビットのグリル マスタード風味
 赤鼻トナカイのロースト 栗のソース添え

フロマージュ
 青いもの ダナブルー/フロム・ダンベル/ロックフォール
 硬いもの ミモレット 20ヶ月/コンテ 18ヶ月
 濡れたもの グレダボージェ/ラングル/マンステール
 白いもの プリ・ド・モー/プリ・ド・ムラン
 
デザート
 禁断の果実のタルト
 チョコとイチゴと深紅の薔薇のミルフィーユ
 猫もまたぐガトーショコラ
 三日間煮詰めた紅茶のムース

ワインはフランス産、イタリア産、スペイン産、アフリカ産、チリ産、アルゼンチン産以外のものをご用意しております」

私は彼女たちに、チョコとイチゴと深紅の薔薇のミルフィーユをオーダーした。
せっかくなのでワインも併せて。運ばれてきたものはポルトガル産の赤だった。
右目の右下にホクロのある女の子がミルフィーユを運んできてくれて、左目の左下にホクロのある女の子がワインを注いでくれた。
ともにフリルのついたエプロン以外は裸である。
「本日はようこそ」右が云い、
「本日はようこそ」左が繰返す。
「ご注文頂きましたミルフィーユには、深紅の想いが込められております」
「深紅の想いが込められております」
「あなた様への想いでございます故、どうぞごゆっくりとお味わい下さい」
「お味わい下さい」
私はワインで口を湿らせ、ミルフィーユにナイフを刺し込んだ。
サクサクと云う感触が伝わり、甘酸っぱい香りが広がる。
私は適当な大きさにカットし、口に含んだ。

と、その辺りで私の意識は覚醒し、現実の世界へと戻されてしまった。
こちらでは真黒な猫が私の帰還を待っていたようで、急いたように啼いている。
寝惚けた頭でそれを眺めながら、妙に懐かしい味だったなとぼんやりと思った。
冬の日のことである。

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2011年01月19日

菓子世界

夢の中にまたあの女が現れた。
正確には女たちだった。
ひとりは黒く長い髪に白い肌、鳶色の大きな目で、東欧の映画に出てくる女優のようだった。
もうひとりもほぼ一緒の肉体で、目の下のホクロの位置が違うだけだった。
彼女たちは双子だった。
どちらが姉で、どちらが妹か判らないが彼女はメイとジュンと呼び合っていた。
ホクロが左目左下にあるのがメイで、右目右下にあるのがジュンだった。
メイは言う。
「今日は何を食べましょうか」と。
ジュンは答える。
「焼き菓子が好いわね」と。
ジュンはどこからか一冊の古めかしい本を取り出して開いた。
これが好いわ、と開いたページにはserpent du couventと記されている。
隣には、奇妙な挿絵があった。
修道士の頭に巻き付いた蛇が、長い舌を出している。
修道士は驚きと云うよりも奇妙な笑顔を浮かべている。
ニヒルと表現すべき笑みだった。
「さぁ、始めましょう」
ジュンが「卵を6つ割りほぐし」とボウルに卵を割ると。
そこへ「砂糖が120g。それと同量のバター」とメイが加えていく。
「バニラで風味をつけて」ジュンがバニラエッセンスを滴らせる。
「固めのペーストになるまで小麦粉を入れて、混ぜるのよ」と粉を辺りにも飛ばしながら。
これを折りたたんで、ふたりはめん棒で細く長く伸ばしていく。
蛇のように。
そして、小粒のレーズンを目のように、縦ふたつに切ったアーモンドを背中にくっつけて。さながら蛇の鱗のよう。
「さぁ、オーブンに入れましょう」
「火加減は?」
「弱火で、じっくりと」
「まるで意地の悪い悪魔のようね」
そこでともに笑う。
「まぁ好いわ。じっくりと、生殺しよ」と。
ふたりは嬉しそうに、焼き上がる間歌っている。
何の歌かは判らないが(もしかしたら即興なのかも知れないが)、愉しそうだ。
シャンソン風であり、ときにミュージカル風であった。
ちなみにこの料理をする間も、歌っている間も彼女たちはエプロンしか纏っていなかった。隙間からは可憐な乳房がのぞき、後ろ姿は豊かな臀部が露だった。
だから、何にも覆われていないところには小麦粉が付着したり、卵の黄身が変な模様を描いたりしている。
彼女たちはそれを笑い、さらに豪華に飾り立てたりした。
と甘い香りが漂い、ほどなくして「できたわよ」とステレオスピーカーのようにふたりは言葉を口にした。
そして「僧院の蛇よ」と。
「さぁ、あなたは珈琲をいれてちょうだい。美味しいヤツを」
そんな塩梅で彼女たちは私に珈琲を入れさせるのである。
そして、その愉しみが終わる頃、私は飼い猫の鳴き声により夢の世界から強制送還されるのが常だった。
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2010年11月27日

薔薇にまつわる記憶

私の祖母は、生涯真赤な薔薇を求めた。
血のように、深く、艶やかで、禍々しい程に存在を主張する薔薇を。
まるでそれは、自身に流れる血を具現化するように。
日本の原種のものも、ヨーロッパのものも、中東のものも、薔薇と云う薔薇を集め、生きていた時間の殆どをその研究に費やした。
そして3年前「天鵞絨よりも重厚な赤い薔薇を」そう言い残し、死んでしまった。
自身の胸にナイフを刺して。
私が見たときには胸には天鵞絨よりも重厚な赤い薔薇が咲いていた。
彼女の名は、皮肉にも、ハナサカソウだった。

薔薇の花よ
薔薇の花よ
その香しき呪いよ
我が肉体を鮮やかに染め上げてくれたまえ

彼女に育てられた私の姉は、彼女が交配し、育てた薔薇を用いて、薔薇人形を作るようになった。
真白い薔薇や黒い薔薇、紅い薔薇、黄色やオレンジ、紫−−それらを用いて。
そして、彼女もまた、いつしか真赤な薔薇を求めるようになった。
真に赤く、血の通ったような、薔薇を。
体内から発露したような、血の如き薔薇を。
しかし、その思いは彼女を冥府へ連れていくようなものであり、
結果、彼女は真白い薔薇に自らの鮮血をかけて散ってしまった。

私の一族は薔薇を愛し、薔薇に呪われている。

私の母は、薔薇の花びらを集めてジャムを作るのが好きだった。
甘く、官能的な花びらを集めた真っ赤なジャムを。
紅茶に入れたり、肌の手入れに使ってみたり−−
あらゆるものに好んで用いた。
無論、愛人を殺すときにも。

薔薇をあなたに
薔薇をあなたに
心の臓に真赤な薔薇を
薔薇をあなたに
薔薇をあなたに
想いをこめた真赤な薔薇を

私の叔父は司法解剖の結果、胃の中から大量の薔薇の花びらが見つかった。

薔薇をあなたに
薔薇をあなたに
心の臓に真赤な薔薇を
薔薇をあなたに
薔薇をあなたに
呪いをこめた真赤な薔薇を
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2010年11月20日

悪魔

暗い闇のなかで女の指が私の耳にかかり、孔を、窪みを、耳朶を行き来する。
ひとつひとつの造形を確認するように、ときに摘み、ときに円を描く。
ゆっくりと、皮膚を這うように、丁寧になぞる。
指が領域を移す。肌を離れることなく項の方へと。
私の体内に冷気と熱気とが渦を巻きはじめ、息が漏れた。
五本の指が頭髪の間に滑り込み、後頭の頭蓋を優しく掴む。
緩やかに、荒々しく、撫でる。
ふたつ折りの恋文のように重なっていた私の唇に、女の薄赤い軟体が挿し込まれ−−。
口内をぬらぬらと徘徊する。
薄赤い軟体は歯を、歯の裏をなぞり、私の同部位と絡みつく。
味はしない。が、口内に唾液が溢れ出す。
今度は女の口から息が漏れた。
赤い軟体が次第に私の肉体を下降していく。
ナメクジのようにぬらぬらと、糸を引いて。
喉を、胸を、腹部を這い、下腹部へと達し、私を弄んでいる。
と、不意に温もりが訪れた。
形のない生暖かさが、私を包む。闇のなかでゆっくりと温もりが動く。
雫がこぼれ、音がする。
女の声が漏れる。
私の下腹部が次第に体液で濡れ出し−−。
私は女の顔が見たくなった。
おそらく官能にまみれた、艶やかな表情なのだろう、そう思い。
暗闇のなかで目を凝らし、女の顔を−−見つめた。
私の凝視する双眸に女が映る。とても美しく、そして−−怖い。
女の唇が動く。
「あなたが望んだのですよ。私の肉体を。
きみと結ばれるなら、命だって惜しくないって。
わたしはあれほど、お止しになった方が良いですわよ、お高くつきますから、と忠告差し上げたのに」
女は笑う。
「それでもあなたが強く言うものですから。
ですからこうして、あなたの命と引き換えに−−」と、彼女の手が私の首にかかる。
あらかじめ四肢が死んでいる私に抗う術はなく、彼女の重みを受入れるよりない。
女は笑う。
「あなたは仰っていたじゃありませんか。
真の官能とは、死と隣り合わせだと。だから−−」
喉にかけられた手にさらに力が強く込められる。

と、私はそこで目を醒ました。
苦しさに耐えられず。
私の腫れぼったい目が、顔の上にある女の顔を捉えた。
女は笑う。
「夢でも良いから、官能的な一夜を過ごすことができたら死んでも良いと−−」
女の笑みに、いつか見た悪魔の顔が重なった。
「あなたが仰ったんですよ。夢でも良いからと−−」
悪魔はそう言って−−。
私の心の臓にかけた禍々しい指を――。
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2010年10月21日

これは趣味で骨董をしていた叔父にまつわる話である。
叔父はかつて京都で学生時代を過ごしており、級友にいた骨董商の息子と仲良かったこともあって次第に古美術の世界に入っていった。
本業は映画の批評家として知られた叔父だったが、そんな仕事の合間を縫って地方へ出かけてはいろいろなものを買い付けてきたり、古美術の研究会に参加したりして、いかにも価値のありそうな掛け軸や絵画、彫刻と云った美術品や、棚や机と云った日常的なものまでを蒐集しては、町の郊外に建てられた“趣味の家”に陳列したのだった。
ラリックのシャンデリアの下に置かれた漆黒の和机。
ガレのデザインしたサイドボードの中には江戸切り子のグラス。
洋間の一角に自然な違和感を漂わせる床の間。床の間には季節の花々が重厚な美濃焼の壺に生けられ、主に小禽が描かれた掛け軸が飾られていた。
その価値が判る人はこの空間に見蕩れ、判らない人はただただそこに存在する異様な光景に唖然とするのが常だった。
そんな家だったからその手の人たちには有名で、面白いものが手に入ったもので、と業者なんかも出入りしていて、その器も業者の持ち込みだった。
「これですよ」
主に茶器を扱っていると云う業者だったが、彼が桐の箱から取り出したのは、アメジストでできたような妖しい艶やかさをもった片口だった。
「何焼なのだろう。見た感じでは、唐津辺りのもの、か−−いや、判らないな」
叔父はそう言って首を捻ったのだが、相当に気に入っているのは傍から見ても判った。
禍々しい妖しさと云ったら判ってもらえるだろうか。気品を持った紫色ではない。
淫靡、と云ってもいいかも知れない。
大学4年だった私はもうひとつの叔父の趣味であるジャズのレコードを聴きによく遊びにいっていたのだが、たまたまそんなときであった。
レコードプレイヤーの上では、当時流行ったアブドゥーラ・イブラヒムが回っていた。
「何とも魅惑的だ。高貴な、遊女のようだ」
叔父はそう云うと、躊躇うことなくその片口を買った。
その日から彼は、毎晩その片口にカラフェのように酒を注ぎ、江戸切り子のグラスで晩酌するようになった。
ひと月後遊びに行ったときにも美味そうに呑んでいた。
叔父が云うには、「これで酒を飲むといい夢が見れる」のだそうだが。
ただ、それからと云うもの叔父は次第に酒にのめり込むようになっていった。
独身貴族を謳歌していた叔父を止める者はおらず、仕事もだんだんと疎かになっていき、メディアからも名前が見えなくなっていった。
さすがに私も心配になり、度々叔父の家へ出かけては酒を遠ざける努力をしたのだが、不思議なことにいつの間にか片口は酒で充たされ、叔父を溺れさせるのだった。
「女が、オレを酔わせるんだ。手招きをして。早くこちらにいらっしゃいよって」
いつだったか叔父が云った言葉である。
「オレだって、酒を止めたいって思うんだ。だけど、これはいつの間にか酒を充たしていて、オレを待っている。そして、夢の中で、オレを誑かし−−」

たしか、それから三年後だったかと思う。
叔父は膵臓がんで亡くなったのだが、医者が叔父を開腹したところ、内臓中に転移していたそうだ。そして、そのところどころに髪が混じっていたということだ。混じるはずなどないのに。
後になって思えば、あれは魂と云うか呪いの閉込められた器だったのだろう。
そしてそれは叔父の体内をごっそり奪って消えてしまった。
私は叔父の死後、あの片口を処分しにいったのだが、見つけることはできなかった。
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2010年09月29日

家系

自分の家系図を書いてみた。
虚しい事実ばかりが浮かんできた。
母は五人姉妹なのだが、うち二人は癌になり、三人は筋腫を経験した。
私の母は図らずも両方を得てしまった。
丈夫なのは三女ひとりだけで、しかし彼女は親子二代に渡って不幸な半生を歩まねばならなかった。人生の伴侶が予めダメな未来しか手に入れられない人物だったのである。
母方の父の一族−−私の祖父に当たる人物は、三男三女の兄妹だったが、最も優秀だった三男は大陸で戦死し、残った長兄と次兄は酒に溺れ、周りに存在する他人の人生までも二級酒のような薄い黄色に染めた。
三人の妹たちも幸せは遠かった。長女は次女の旦那との間に子どもをもうけた。デキの悪い息子で、元号が平成に変わっても文盲だった。そして、アル中だった。
晩年は痴呆症の母親とアル中が喧嘩をするというもので、村中で評判になった。
次女は早々に田舎との縁を切ったが、若くして消えてしまった。事故に遭ったのだ。
三女はパーキンソン病に罹った。それまでは熱心に働き、結婚もし、男子をひとり授かったが、旦那には早くして先立たれ、子どもを女手ひとつで育て上げなければならなかった。
息子は結婚をし、娘がふたりできたが、長女は18のとき、年下の男との間に子どもができてしまった。産気づいたのは、親戚の葬式で出棺のときだった。その事実を知っていたのは巨躯の妹だけで、他は旦那を除くと誰も知らなかった。
彼女はその後二人の息子を産んだが、幸せにはなれなかった。旦那は借金ばかりを作り、働きはしなかった。若くして結婚したために遊びたくて仕方なかったのだ。
彼女が22歳で別れたときには互いに500万ずつの借金ができていた。わずか四年の間に。
その後、投機話をもちかけられ借金の返済にと妹とそれぞれ50万ずつ費やしたが、それ以上の額もそれ以下の額も返ってくることはなかった。
彼女は水商売を始め、人生の再起をかけるが、またしても疫病神に魅入られてしまう。
勤め先で出逢った年上の男性との同棲を機に、子どもたちへの虐待が始まった。
子どもたちは施設に保護され、結果彼女の親が引取ったのだが、トラウマを持った子どもたちは親を失った悲しさを持て余し、パーキンソン病の老女を殴るようになった。
現在26歳になる彼女は年上の男性との間に一児をもうけ、愛憎の中で暮らしている。
三人を引取った彼女の父親は孫のために身を粉にして働き、倒れ、パーキンソン病に罹った。親子二代というのは偶然なのだろうか、血の呪いなのだろうか。
母の再従兄弟に当たる男性というのも幸遠い人物だった。
二度結婚詐欺にかかり、200万を失い、養子にもらった男児に先立たれ、70を間近にしてひとり、日の射さない家で暮らしている。もはや希望を持てないのだと云う。
これは私の中に流れる血の、ほんの断片である。
訪れる不幸をカテゴライズすると、だいたい三通りになる。
ひとつは、幸遠い結婚による破綻。
ひとつは、病。
ひとつは、社会の底辺ゆえの歪み、である。
上記二つは個々の問題として片付けることもことできるが、三つ目は予め精神を拘束し、人生の前進において強大な障壁となっている。
書き漏らしていたが、私の母方の血は、東北の農村部の、“区別”されてきた一族なのである。
それ故なのか、運不運で云えば、圧倒的に不運が先行している。
本人の意図とは無関係に悪い連鎖ばかりが起きているのだ。
或る人は云う。
「自然界において力による淘汰があるのであれば、人類史に於いてはそれは血という形での淘汰があるのではないか」と。
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2010年09月28日

廃屋

自転車で北国を廻っていた時の話である。
私は港のあるN市からを北上していた。
出た時間が遅かったのもあるが、登り下りの激しい道で、予定していた所まで辿り着くのは難しそうだった。
更には夜になると小粒の雨が落ちだして、これはいけないぞと思っていたら本格的な土砂降りになってしまった。
確かにその朝の新聞には、「にわか雨に注意」と天気予報が載っていたが、昼間の快晴はそれを微塵も感じさせることがなかったので、気を緩めていたのだった。
黒い雲に大きな亀裂が走り、刹那の後、大きな音が轟く。
海上に陣取った雨雲は刻々と濃くなり、雷神は大いに暴れ大気を揺さぶった。
私はずぶ濡れになりながら、どこか雨宿りが出来る場所を、と探していたのだが−−。
目の前に一軒の不思議な家を見つけた。
それは一応、モダニズムの洗礼を受けた国に見られる西洋建築風の佇まいをしているのだが、細く高い壁のような建物で、雷光により浮かび上がった光景は異様だった。
一間ほどの幅のまま、30メートル近くあるのである。
さらに何が異様か、と云えば、本来入口であろうはずの場所に入口はなく、本来壁と思える部分に幾つかのドアがあり、梯子がそこへ伸びているのである。
一般的なアパートを薄く切取って、階段を梯子に代えた−−そう説明したらご理解いただけるだろうか。
また、その梯子の掛けられた面も板であったり、鱗状に焼き物を重ねたものであったりして奇妙な感じを漂わせていた。ただ、一目見ただけで廃屋だと判った。
私はとりあえず雨から避難すべく軒先を借りようかと思ったのだが、屋根の庇は短く、雨を避けることはできない。
仕方なく私は激しく雨の降る中、件の梯子を上り、ドアが開いていないものかと試してみたのだが−−。
ギギィと云う蝶番が錆びて重たい、悲鳴に似た音を出して開いたのだ。
中は真暗で何があるのか見えなかった。
ただ、異様なほどの獣臭を感じた。
思わず入るのが躊躇われたのだが、この雨である。
以前に猫でも飼っていたか、或いはどこからか猫が侵入して棲みついて−−と思うことにした。猫になら襲われることもないだろう。
私はひとまず荷物を入れ、濡れた身体を室内へと引揚げた。
全身は海に飛び込んで上がってきたかと云うぐらいの濡れようである。
私はバッグからタオルを取り出し、髪や顔を丁寧に拭いた。
そして濡れた服を換え−−。
と、そこでガサゴソと云う音が聞こえたのである。
私は不意に緊張を覚え、服を手早く換えると、ライターを手にして暗い中を見張った。
次の瞬間、空気が緩やかに動き出し−−。
闇の中から、シュルルシュルル、と云う音が聞こえてきたのだ。
物陰からこちらを見ている気配がする。
緊張が高まり、掌や脇の下に汗が滲んできた。
闇を睨む、と、赤い光が見えた。眼、か。
次の瞬間、雷光が室内に潜むそれを浮かび上がらせた。
蛇−−しかも、巨大な、南米の密林に棲息しているような、あの樹の幹ほどもあろうかと云うような−−が鎌首をもたげ、睥睨しているのだ。
そして、辺りには白骨化した何かの骸が、転がっていて−−。
私は恐怖に震えた。
何故こんな北の島に、これほどの蛇がいるのだろう、そんな疑問を抱いたが、直面する問題は如何にこの場を逃れるかと云う差し迫ったものだった。
荷物の中にナイフはあるが−−さして役に立つ様には思われない。
おそらくこの火が絶えた瞬間に私は襲われるのだ。
そう思った瞬間、私はバッグの中から乾いたタオルを取り出し、ライターの先で揺らめいている炎を移した。乾いたタオルは勢いよく燃えだし、辺りを赤い灯りで染め上げた。
私は手にしたタオルで威嚇しながら後ろへと下がり、荷物を雨の降る中へ放り出すと自分の身もゆっくりと穴から這い出す様に、ドアの外へ出ようと梯子に足をかけた−−瞬間−−それはもたげた鎌首で襲いかかろうとしたのである。
思っていた以上に、素早い。
私は手にしていたタオルを蛇の眼前に放ると、素早くドアを閉めて、外からドアを押さえた。
室内では炎が広がる気配がしている。
そして、あの大蛇が炎の中で暴れている様子も。
のたうっているのだろう、派手に何かが壊れる音がした。
たぶん、短い時間ではあったと思うが、古い木造の建物を勢いよく炎が駆けていき、忽ちのうちに炎の壁の様になった。
それを確認すると私は数カ所に軽い火傷を負いながらその場を立ち去った。
気付けば雨は小降りになっていた。

翌日の新聞に海沿いの廃屋が全焼、と云う記事がないか探したのだが、生憎見つけることは出来なかった。
北国と云えども大蛇はいるのだろうか、それとも異世界から紛れ込んだものだったのだろうか、私には判らない。
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2010年09月27日

真白い女

真白い女の話である。
私の夢の中にたびたび女性が出てくるのだが、それはかつて私と交際した女性だったり、学生の頃に想いを寄せていた人だったり、何かの折に関わった人だったりするのだが。
稀に予言者−−と云うか、予言として現れるのである。
そして、あの夜の夢もそうであった。
私は川沿いの道にあるベンチに腰を下ろして空を眺めている。
真赤な太陽が沈み、群青色の空に月と星が鮮明になる頃、女は現れた。
女はオレンジ色のワンピースで、首には緑色のスカーフを巻いている。
靴については曖昧だが、多分クラシカルな低めのヒールだったと思う。
手の爪も足の爪も椿の様に紅かった。
女は私に微笑みかける。誰だろう、束の間そんな思考が過る。
私ではない誰かにであろうか、と一瞬辺りを見たのだが−−目の前の女はやはり私に微笑んでいる。
私はぎこちなく軽く会釈をして返した。
女の髪は黒く、長い。
真白い肌。細い手足。細い身体。
細面の顔の、黒く大きな瞳と高い鼻梁、紅い唇が私の目を惹いた。
「こんばんは」女の唇が動いた。フルートの様な綺麗な声だった。
私は誰だろう、とずっと記憶を探っていたのだが出てこない。
と、もしかしたら、誰かと間違えているのでは、そんな考えも浮かんできて。
「すいませんが、どなた様でしょう」私は問うてみた。
すると女は云うのである。
「十年の後に貴方と出逢うものです」と。
私はその言葉に唖然とした。
「十年後、ですか」
「ええ、そうなのです」と女は頷く。
そして、運命が貴方をお待ちしております、と云うのだ。
私は何かを云おうとするのだが−−云うことが出来ない。
*************************************
私はそこまでしか覚えてないのだが、不思議な夢であった。
初めの頃は何かの折にその夢のことを思い出していたのだが、三年も経った頃にはすっかり忘れていた。
それからの私は二度勤めを変え、三度失恋を経験し、四度引越しをした。
四度目の引越しをした先で私はデジャブを感じていた。
来たことのない場所なのに、見たことのある風景。
そして−−。
夕暮れ時の川沿いの道を歩いていた時のことである。
私はベンチに腰を下ろし、暮れていく秋の空を眺めていた。
星がピンクの雲の向こうに輝きだし、鳥が群れて巣へと帰っていく。
涼しい風が吹き、ススキが揺れた。
と、不意に私の隣に腰を下ろしたのである。
目を遣るとオレンジ色のワンピースを着た女だった。
大きな瞳が私を見ている。
そして、紅い唇が動き、言葉が届けられる。
「何処かでお逢いした様な」と。微笑みながら。
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2010年08月17日

悪夢

跫が近付いてくる。
コツコツコツ、と。
私は暗闇の中で目を開いたのだが、室内には月の灯りが射込み、窓際に置かれた花瓶を照らしているのが目についた。
花瓶には、天鵞絨のような薔薇の花が二本ささっている。
ひとつはまだ蕾みのままで、ひとつはようやく開きかけたところだった。
開きかけた花びらは、あの少女の唇のように、魅惑的なシルエットだった。
と、刹那眺めていると、やはり跫が聞こえた。
コツコツコツ、コツコツコツ、と。
廊下に冷徹な音が刻まれる。
コツコツコツ、と。
私にはその跫には聞き覚えがあった。あの少女のものなのだ。
三日前までこの洋館を、かつて何度も歩いていた、あの音なのだ。
だがしかし、それはおかしいのである。あの少女のものであるのなら。
何故なら、それは存在してはいけないものだからである。
私の中には俄に巨大な恐怖心が渦を巻き始めていた。
緊張が私の身体から自由を奪い出して−−。
手が、足が、ベッドに縛られたかのように、動かない。
上半身を横にすることも能わず。棺桶に葬られた死人のように、仰向けのまま。
焦りのなか、私は動かすことので出来る部位を探した。
しかし、唯一動かせたのは目だけであった。
背骨が軋むほどに身体が強張り、汗が止めどなく溢れてくる。
逃げ出すことはできない、そう思うと、胸が締め付けられたように、動悸が速くなった。
悪い夢であって欲しい、そう願うのだが、状況に変化は訪れそうになかった。
コツコツコツ。
廊下に谺していた跫は、私の部屋の前で止まった。
ドアノブが回る音がして−−。
室内へあの跫が侵入してきた。
コツコツコツ、コツコツコツ、と。
廊下に谺していたものよりも、硬質な音である。
そしてそれが動くことの能わぬ私の方へ近付いてきて−−。
顔が覗き込んで、目が合った。
やはり、あの少女である。
昨晩、私がこの手で、剥製にした。
少女の唇が開く。可憐な薔薇の如き紅い唇が。
そして、こう云うのである。
「****************」
私の耳が拒絶する。
だが、唇はまたしても動く。そして−−。
「さぁ、あなたも、はやく、こちらへ」と云って−−。
動くことの出来ない、私の首に真白い腕が伸びてきて−−。

と、私はそこで目を醒ました。
悪い夢−−か、と一息吐くと、ベッドの隣に何かの気配を感じた。
しかし、生き物としての直感は、それを見ることを拒んでいる。
見なくとも判る。
あの剥製、なのだ。あの紅い唇の、少女の−−。
ふふふ、と軽く笑う声がしている。
そして、こう云うのだろう。
「さぁ、あなたも、はやく、こちらへ」と。
posted by flower at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | novel | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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